― しあわせへの道しるべ ―

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Serizawa Kojiro

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「小説の面白さ」
正 義 感

「ヨーロッパの表情」―日本人としての生き方―「遠ざかった明日」はなお遠い!?

「結婚新書」 結婚観・実母観

「戦争」と「神」に悩む西欧 ―― サルトルの「神と悪魔」をみて
母として、いや、人間として
我が宗教 信仰観、実父観
   

 

 

「ヨーロッパの表情」

『芹沢光治良文学館(11)』
エッセイ 文学と人生 p337〜
1952年(昭和27)2月 56歳

 

日本人としての生き方

――
「遠ざかった明日」はなお遠い!?

 

「ヨーロッパの表情」といえば、少し前から興味をもっていた作品です。

というのも、ちょうど一年前国文学解釈と鑑賞 別冊:芹沢光治良――世界に発信する福音としての文学』で、私は『死の扉の前で』を担当させていただきました。

主人公の正夫は、あることがきっかけで家族に精神病院に入れられ、少なからぬ時間をそこで苦しめられました。そのときに芹沢光治良らしき「私」が彼の退院に一役かったことがあります。

若き主治医が正夫を診察するなかで、その「あること」と「私」がある程度の(おおいに?)かかわりがあることが判明したようですが、その主治医は「私」の「ヨーロッパの表情」を読んでいて、「私」に非常に信頼をおいていた、といういきさつがありました。

そのようなことから興味をもっていたのです。

 

そのなかの「ヨーロッパ便り」は「娘たちへ贈る」という副題があるとおり、通信形式になっているのですが、これは後に『人間の運命』の終章とも位置づけられる『遠ざかった明日』(1972年)へと発展します。

どちらも、スイスのローザンヌでひらかられた世界ペンクラブの国際大会(1951年6月22〜26日)に出席するために、5月末に日本をたって、10月末に日本に帰るまでに作者が「精神に貯えたもの」がベースになっています。

それで、『遠ざかった明日』のおわりでは、パリの最後の夜をしのんで親しいレストランで夕食をしたのですが、そこの給仕・ガストンと次のような会話がかわされます。

――講和条約の条文をよく読んでごらんなさい。あれでは、日本は独立国ではありません。アメリカの属国になったんですよ

――アメリカの属国だって?

――日本全土、北から南まで、重要な場所には、どこにもアメリカ軍が駐屯して、陸も空も海もすべて、日本の安全をアメリカ軍が保障するなんて……これでは、アメリカが日本を属国にすることです。

『遠ざかった明日』(新潮社) p277

 

『遠ざかった明日』について、京都精華大学名誉教授の笠原芳光氏は次のように指摘しています。

当時の日本にとっては講和条約の成立によって独立国となるということが明日への希望であった。だが文末にある「アメリカの属国」という言葉に象徴されるような講和の条件によって、日本の「明日」は「遠ざかる」ものとなっていった。それが、この「遠ざかった明日」という題名のゆえんである。

笠原 芳光
『遠ざかった明日』――ナショナルなもの p199
『国文学解釈と鑑賞 平成15年3月号』
特集:芹沢光治良――愛と誠実、その文学の普遍性

 

 

そして、その明日は、いまなお近づいていない(?)……

 

私たち日本人は、どのように生きていったらいいのでしょうか?

 

 

こんどは「ヨーロッパの表情」から。

人生とか青春とかいう言葉は、ヨーロッパ文化の輸入されるまで、日本にはなかったのではなかろうか。言葉は翻訳されたが、その実態は輸入されるものではなくて、日本人自身がつくり出さなければならないが、日本では古来人間も自然の一部であり、自然に同化しようとしたのではなかろうか、人間が自然から独立して、自然と闘ってゆく代りに……こういう伝統のもとには、西洋流の人生とか青春とかは考えられないのでなかろうか。私はこちらに来てから、日本のよさも、日本の特長も、よく思い出すし、高く評価もするが、しかし、それをどんな風に現代に生かすことができるか、いつも考え迷うのです。

(中略)

ひゆを使えば、日本人が鳥類なら、こちらの人々は獣類です。日本人は鳥類のような楽天的な歌や、鳥類のような繊細な美を持っています。食物といい、衣類といい、友情といい、実に獣類にはない美しさを……。しかし、西洋文明がはいったとたんに、この鳥類は羽をなくしたようなものです。楽しくうたっていられる空からおちて、獣類といっしょに大地で、生存競争をしなくてはならなくなったのです。生存競争をするためには、なんとかして獣類になるのが早道であるから、百年も獣類の真似をしてきたのでしょう。獣類もはじめて地におちた鳥類を発見したときには、その羽や歌の美しさにかんしんして可愛がってくれたものだが、それがいつの間にか獣類にまじって威張り出したので、よってたかって獣類に似た牙や爪をもぎとられたのかも知れない。そうかといって、いまさら鳥にももどれない運命です。私達も、いつまでもすりえや子虫のような食物に恋々としたり、梢のなかの巣をあこがれたりすることをやめて、敢然と獣類と同じ生き方に変えなければならないのではあるまいか。そうかえても、自然に私達の毛に羽のようなものがまじり、私達の吠え声には歌声がまじるならば、この地上の獣類に豊富な感じを与えることができるのではなかろうか――そんなことも、日本をはなれてから考えるのです。

p360『芹沢光治良文学館(11)』

 

この比喩の部分は書きとめておいて、私自身が考えていきたいと思ったことでした。2ヶ月前、2月17日にもそう記録しています。

もうそろそろ取り掛からねば、と思っているころ、遅ればせではありますが、ちょうど仕事でヒントをさがして読んでいた『会社の寿命10年時代の生き方』(道幸 武久著、サンマーク出版、2006年7月5日) でビックリしました。

私はここまで「アメリカ型経済システム」を、グローバルスタンダードとして認識すべきだという論を進めてきました。しかし、日本もアメリカのように単純な短期契約、年俸型給与にするべきだと考えているわけではありません。

日本には長い歴史の中で培ってきた文化があり、そこには未来に残すべき美意識も精神的高邁さもある。そうしたすべてのものを捨ててまで欧米型に追従することには、断じて反対です。

では、どうすればいいのか。

(中略)

日本は日本人の特性を生かし、なおかつアメリカ型に対抗しうる「新たなシステム」を構築しなければなりません。

そこで私は、あえて日本を「鳥型」、アメリカを「獣型」と分類したいと考えています。

物事を考えるとき、どのような「意味づけ」を与えるかということはとても重要です。「鳥」と意味づけることによって初めて、世界経済の中で「勝機」が見いだせると思っています。

(中略)

私が伝えたいのは、弱い鳥たちがそれぞれの能力を磨き、獣の要素を併せもつ「猛禽類」になることが必要だということです。

一羽でも生きていける強い鳥「猛禽類」が、互いに群れを思いやる気持ちをもったとき、世界経済という大空を獣を恐れずに自由に飛ぶことができるようになるのだと私は思っているのです。

道幸 武久『会社の寿命10年時代の生き方』p45

 

パラレルな部分を手短かにあぶりだすためにたくさん省略しましたので、関心のある方はぜひ原文をあたっていただくとして、

ああ、私もいよいよ、よく考えなければなりません…… この部分を読んだのは4月6日でした。

 

(2007.04.15)

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