― しあわせへの道しるべ ― | |
芹沢光治良の文学の世界を ささやかながら ご案内いたします。新本、古本、関連資料も提供いたします。 |
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Serizawa Kojiro
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「ヨーロッパの表情」 『芹沢光治良文学館(11)』 日本人としての生き方
「ヨーロッパの表情」といえば、少し前から興味をもっていた作品です。 というのも、ちょうど一年前『国文学解釈と鑑賞 別冊:芹沢光治良――世界に発信する福音としての文学』で、私は『死の扉の前で』を担当させていただきました。 主人公の正夫は、あることがきっかけで家族に精神病院に入れられ、少なからぬ時間をそこで苦しめられました。そのときに芹沢光治良らしき「私」が彼の退院に一役かったことがあります。 若き主治医が正夫を診察するなかで、その「あること」と「私」がある程度の(おおいに?)かかわりがあることが判明したようですが、その主治医は「私」の「ヨーロッパの表情」を読んでいて、「私」に非常に信頼をおいていた、といういきさつがありました。 そのようなことから興味をもっていたのです。
そのなかの「ヨーロッパ便り」は「娘たちへ贈る」という副題があるとおり、通信形式になっているのですが、これは後に『人間の運命』の終章とも位置づけられる『遠ざかった明日』(1972年)へと発展します。 どちらも、スイスのローザンヌでひらかられた世界ペンクラブの国際大会(1951年6月22〜26日)に出席するために、5月末に日本をたって、10月末に日本に帰るまでに作者が「精神に貯えたもの」がベースになっています。 それで、『遠ざかった明日』のおわりでは、パリの最後の夜をしのんで親しいレストランで夕食をしたのですが、そこの給仕・ガストンと次のような会話がかわされます。
『遠ざかった明日』(新潮社) p277
『遠ざかった明日』について、京都精華大学名誉教授の笠原芳光氏は次のように指摘しています。
笠原 芳光
そして、その明日は、いまなお近づいていない(?)……
私たち日本人は、どのように生きていったらいいのでしょうか?
こんどは「ヨーロッパの表情」から。
p360『芹沢光治良文学館(11)』
この比喩の部分は書きとめておいて、私自身が考えていきたいと思ったことでした。2ヶ月前、2月17日にもそう記録しています。 もうそろそろ取り掛からねば、と思っているころ、遅ればせではありますが、ちょうど仕事でヒントをさがして読んでいた『会社の寿命10年時代の生き方』(道幸 武久著、サンマーク出版、2006年7月5日) でビックリしました。
道幸 武久『会社の寿命10年時代の生き方』p45
パラレルな部分を手短かにあぶりだすためにたくさん省略しましたので、関心のある方はぜひ原文をあたっていただくとして、 ああ、私もいよいよ、よく考えなければなりません…… この部分を読んだのは4月6日でした。
(2007.04.15) |
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