― しあわせへの道しるべ ―

芹沢光治良の文学の世界を ささやかながら ご案内いたします。新本、古本、関連資料も提供いたします。

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Serizawa Kojiro

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光治良文学――備忘録

 
創作のもと
「人間の運命」のモデルについて
<神様からのあずかりもの> 祖母の子供観
「伯父さんの書斎で見たジード」『背徳者』の感動
「シャルドンヌによせて」 小説のスティルについて
「私の小説勉強」 作家になるまでの半生の素描、小自伝
「創作ノート」 作家論(自己の発展)
「わが意図」 創作とは神の真似
「小説のモラル」 作家論(脱皮する本体)・作品論

「ルポルタージュについて」 アンドレ・ジードのコンゴ紀行

「人間の裸体」 ミケランジェロの囚人の群像
「青春はなかった」 毎日青春をもつ
「迎春」 修道院へ行く覚悟、義父との不幸、死を賭して作家へ
「職場にある教え子」 代用教員のころ、「眠られぬ夜」について
「春宵独語」 シミアン博士の文学観、マリ・ベルのこと
「捨て犬」 生きものについて

「浅間山に向っ 創作と健康

「作家の秘密」 作家論
「なぜ小説を書くか」 文学論・作家論
「現代日本文学」 読者論・文学論・作家論
「ノエルの祭」 実父観 → 養子考
「親と子の関係について」 実父と養父
「新年」 質素なこと
<金江夫人と光治良作品>
<文学論 タチアナ・デリューシナ氏による>
「童 心」 あだ名は柏餅
「男子の愛情」 女性観
「小説の面白さ」
正 義 感

「ヨーロッパの表情」―日本人としての生き方―「遠ざかった明日」はなお遠い!?

「結婚新書」 結婚観・実母観

「戦争」と「神」に悩む西欧 ―― サルトルの「神と悪魔」をみて
母として、いや、人間として
我が宗教 信仰観、実父観
   

 

 

<神様からのあずかりもの>

「男の生涯」より――『芹沢光治良文学館(4)』 p99
1947年1月

 

祖母の子供観――

その秋のはじめ、祖母は自らすすんで医者にみせたいと云った。診察の結果は尿毒症であった。病毒が頭をおかしくしたらしく、いろいろの事を云うので、もう助かるまいという知らせで、僕は或る日曜日、最後に見舞った。祖母はたしかに頭を軽くおかされていたが、静かに休んでいて、その云うことも狂気じみていなかった。両方のたもとに、丁寧にたたんだ紙を一ぱい入れて、それが全部紙幣であると思いこみ、貧乏な人を好きなほど助けられると云って喜んでいた。

「米が高くても、みんなに安心して沢山食べてもらって下さいよ。お金は神様がこんなに授けて下すったから、困る人には、遠慮なく使ってもらって下さいよ。貧乏はつらいことだが神様は貧乏な人を一番目にかけてくれるからな」とも云った。「みんないいかね、火事ですよ。逃げなければいけない。荷物はすてて、身体さえ助かればいいですよ。身体がお宝ですからね。子供を大切にしてね。子供は自分の子供ではなくて、神様からあずかっているのだからね。大きい火事だか落ち着いておくんな」とも、云った。

(中略)

それから三日目に、八十幾歳かで、それこそ神様からお徳を授けられて喜びのうちに静かに亡くなった。この死によって、僕の心に故郷がなくなったような寂寥を感じたが、同時に、僕は何かしら安心もした。総てのものから解放せられたようにも思う。たった一人の自己だけを意識して生きられると考えた瞬間、若い男には、孤独よりも解放せられた歓喜がある。

 

Fri, 24 May 2002 22:07:51 +0900
Subject: [芹沢光治良] ●神様からのあずかりもの
Reply-To: serizawa-koujirou@egroups.co.jp

「e芹沢光治良文学読書会」ML投稿分より
2002.03.09 開設
2005.09.18 閉鎖

(2005.09.18)

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