芹沢光治良の文学の世界を ささやかながら ご案内いたします。新本、古本、関連資料も提供いたします。

「新年」

『芹沢光治良文学館(11) エッセイ――文学と人生』
p233
（初刊本『文芸手帖』昭和18年4月30日 同文社）

質素なこと――

私はシミアン先生が質素な生活をしていることに感心しました。学者の生活はみなそうであり、色々考えさせられました。コルネリッサン博士のお宅のことは、今までもよくお書きしましたね。コルネリッサン博士の質素な生活は、オランダから亡命しているからだろうと解したが、シミアン博士のお宅を訪ねて、必ずしもそうでないことに気付きました。そう云えば、ベレソール先生だって、お気の毒なほど簡易生活です。この人々には、現実的な日常生活のみが生活ではなくて、精神の世界があり、その世界で豊富な生活をしているのでしょう。三木清さんが巴里を出発する前に、よく云ってたことを思い出します。日本から欧洲へ来たお役人は、異口同音に、欧洲文明は物資文明だ、物質ではかなわないが、東洋には精神文明がある。精神では欧洲にまけないと思うけれど、実際は欧洲にある精神の世界こそ、興味があるもので、この精神の世界を征服するようなものを日本で持てなければ、日本も威張れないと。シミアン先生のように、統計学や社会学をしている学者が、常にモラルということを力説するのもそのためでしょうが、私も経済学をして、社会事象のみにとらわれてはいけないと、つくづく感じます。

（中略）

私達はフランス人の苦悩の上に、安易に生きているようですまない気もしますが、努めて贅沢をさけて、この人々と苦悩をともにしたいと考えます。実際、ヨーロッパへ大戦後の苦労を味いに来たのですから。いくらフランスが安いからとて、贅沢はできません。しかし、日本の一円が五円にも十円にも使えるというのは、パリにいる日本人を少しずつ悪くするでしょう。無意識のうちに私達も贅沢になりそうです。簡素な生活に幸福があるのだと、一月一日の日誌の一行目に書いておきましたが。

(2006.04.22)