― しあわせへの道しるべ ― | |
芹沢光治良の文学の世界を ささやかながら ご案内いたします。新本、古本、関連資料も提供いたします。 |
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Serizawa Kojiro
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「ノエルの祭」 『芹沢光治良文学館(11) エッセイ――文学と人生』
実父観 → 養子考――
(2006.04.01) 【引用者所感】 この文章には、まったく驚きました。光治良先生が、実父のことをこのように積極的なかたちで語っているところにはじめて(?)接したからです。 個人的な印象では、つねに容赦のない厳しい批判が実父にむけられていたようで、絶対に「ゆるせない」存在のように長らく私にはうつっていたのです。 『人間の運命』などでは森次郎にそれに近いようなことを語らせていたかもしれませんが、少なくとも光治良先生ご自身の生の言葉ではありませんでした。 しかし、これは私の稚拙で皮相な誤解、勝手な思い込みだったようです。 はじめに「あれっ」と思ったのは、数年前、『人間の運命』をよんでくれた知人から「実父のことは悪く描かれてあるどころか、尊敬し、讃えているようにしか思えない」という素朴な感想をきいたときです。 そのときは「そうか自分はへんなところにこだわっていたのだな」と少し意外な感じがしたものです。 野乃宮紀子氏は<『人間の運命』に描かれた父親像>(国文学解釈と鑑賞 平成16年4月号 特集「特集:近代文学に描かれた父親像」)で次のように指摘しています(p186)。
実父については、いつも控えめで、あまり書いておられないが「もし身内でなければ、大いに筆をふるっただろうと思う」と野乃宮氏から個人的にうかがったことがありますが、このような視点は、私にとっては指摘されてはじめて納得のいくものでした。 (2006.04.08)
(2006.04.16) 芹沢光治良が石丸助三郎の養子にならなかった理由について、鈴木吉維氏は次のように考察しています。
中村真一郎氏の「武人的倫理観」(***)を援用してのものですが、「士族の没落は時代の趨勢とはいえ、自身の家が網元から零細漁民に没落していく悲しみと同質のものを、旧幕藩体制の人々に感じて、同情と共感を寄せていたのであろう」(前掲論文)ということです。
また、話はかわりますが、鈴木氏は「その中で洋行当初不思議な出会いをするのが、『黒井閣下』こと百武源吾である」が「この百武も石丸と同じ佐賀藩出身であることから、洋行に当たって石丸が紹介したか、事前に連絡がついていたと考えるほうが自然で妥当である」とし、芹沢光治良の追悼文「義兄を偲ぶ」(***)における二人のつながりの可能性に注目しています。
これらの指摘は、個人的には心にとめておきたいと思います。 (2006.05.04)
田中榮一氏は、「海に鳴る碑」について次のように考察しています。
また、これに類する作品として次のものをあげています。 「秘蹟―母の肖像―」(「文芸春秋」昭和16年10月)
(2006.05.06) |
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