― しあわせへの道しるべ ―

芹沢光治良の文学の世界を ささやかながら ご案内いたします。新本、古本、関連資料も提供いたします。

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Serizawa Kojiro

 芹沢光治良文学読書会

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更新履歴 (What's New!) 2015.11.07

 

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■生誕110周年記念 芹沢光治良「神と人間」―全8冊― (2006年4月28日発売) 14,700円(税込)■

ちらしをご案内します

「神と人間」へようこそ!

『神の微笑』『神の慈愛』『神の計画』『人間の幸福』『人間の意志』『人間の生命』『大自然の夢』『天の調べ』「遺稿」

   

『芹沢光治良研究』 おうふう より 2007年11月刊行

   

国文学解釈と鑑賞 <<特集>> 芹沢光治良――世界に発信する福音としての文学

詳細のご案内

(至文堂)2006年5月2日発売

   

『芹沢光治良 人と文学』 勉誠出版「日本の作家100人」シリーズで2005年3月末刊行

   
アエラ No.40 に掲載されました!(2003.9.29)
芹沢光治良を知っていますか ――「良心」の文学

千年の文学者 30位! (2000.6.29)

『須賀敦子と9人のレリギオ――カトリシズムと昭和の精神史』
芹沢光治良の位置
『人間の運命』への招待
芹沢文学の軌跡 〜エッセイに読み取る芹沢光治良〜
   
 『神の微笑』文庫化によせて――読者の声
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2004年(平成14年)『神の微笑』の文庫化にあわせて、読者のみなさまに感想などをお寄せいただきました。サブサイトへどうぞ。

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 寄 稿 文
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愛読者仲間による寄稿文をあつめた サブサイト です。
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 雑文です。恥ずかしながら……
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  管理人の雑文です。まじめに書いてはいますが……
 

【new!】芹沢光治良のピューリタニティ、あるいはピューリティについて

ローマ法王との個人謁見

自由人……

ホ・オポノポノをご存じですか?

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 備忘録
 

私的な 備忘録、メモ です。

  いたく感じたところ、
  あらためて発見したところ、
  こんな芹沢光治良がすきだ、
  やっぱり光治良先生はすごい……

そんなところを抜き書きしてみました。

   
 つれづれ
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  光治良文学には直接関係ない雑文です
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「神と人間」へようこそ!

 

照らしだされる生き方
浄化される心地よさ


<神と人間>は私にとって、本当に不思議な書です。

文庫本でたまたま一冊目の『神の微笑』(ほほえみ)を読んでから数ヶ月間、子育てに追われていた私は、手に入らない二巻以降については完全に諦めていました。ところが、一冊目を買った店に再び立ち寄った際、そこのご主人が「そういえば、近くの古本屋で見かけた。」との言葉をかけてくださったのです。実は一冊目の『神の微笑』(ほほえみ)を購入したその店も、自宅からは少し離れた場所にあり、電車に乗らなければならず、なぜかたまたま2回も、ふらりと寄ったに過ぎなかったのです。

言われるまますぐに近くにあるという古本屋に足を運び、たまたま第二巻の『神の慈愛』を手に入れたものの、一年近くその本を開く事はありませんでした。

三巻以降を手に入れることは完全に諦めていました。しかし、お正月に夫の実家に遊びに行った際、まさか、作家名も知らないだろうと思いながら、何気なく<神と人間>の話をしたのです。すると、なんと一〜五巻まで姑が所有しているとのこと。喜んで貸してくださったのです。

しかし、第二巻一冊を読み終えるのに半年以上かかりました。育児休暇が明けて職場復帰と重なり、正直、読書どころではなかったのです。ここまでの私は何となく、ただ気晴らしのために読んでいたに過ぎません。この調子だと、お姑さんに五巻まで返せるのは一体いつになるだろう、長く借りていて怒られないかなと不安になったのを覚えています。

第三巻以降は、読み進めるほどに不思議な感覚に襲われている事に気づきました。そのために読むスピードも上がりました。そのうちに偶然が偶然を呼ぶような事ばかりが起こるようになりました。

一つは、<神と人間>の登場人物と直接お会いする機会を得たことです。職場でこの本の話をしたところ、偶然にも知り合いの知り合いということで短い時間ですが、お話しする機会を得たのです。

二つ目は、自分の抱えている問題がいつもそこに記されていることです。仕事と子育てで毎日追われるだけ、忙しいだけの生活。疲れた、つまらない。肉体的、精神的疲労感が渾然一体となって、夜中に一人、虚無感につかまります。それでやはり気晴らしに何となく続きを読もうと本を開くと、そうではない、と記してあります。生きていくということがどれだけ平凡であり、しかし同時に非凡な出来事の繰り返しであるか。しかし、長い人生から見たらどんな出来事も全ては「神の計画(はからい)」の上で完璧であるのだという事実。作者は毎日毎朝生まれ変わっている、というのです。強い衝撃でした。私はいつも足りないことばかりに目が向いています。他人や環境の不備にどうしても目が向いてしまいます。確かに、毎日は奇跡に満ちているというのに。

第四巻の『人間の幸福』からは、それがもっと確信に変わっていきました。さりげない登場人物の生き方が、どんなに尊く、清らかな影響を毎晩私に与えてくれたか。自分の人生に責任を持った自立した人間であること、そして起こってきた全ての出来事に初めて感謝できるということ。そのことが「人間の幸福」につながるということ。顧みて、今日の自分が瞬間、瞬間何を思って生きているか、ということを考えると自分の今の満たされない境遇を当然だ、と何故だか納得してしまうのです。不満や愚痴はいかに私が自分の人生に対して責任を放棄し他のせいにしていたか、という弱さの現われなのです。自分はどれほどの努力をしてきたのだろうと。

仕事で上手く行かなかった日。理不尽な対応をされてうまくいかないことを上司や周りの人間の無理解、といういつもどおりの場所に置いてなかなか眠りにつくことが出来ない苦しい夜。本を開くと、不思議とそれに答えるかのように、作者自身がどんなに複雑な人間関係の中でやってきているのかということがそこに書かれています。しかも、作者は作家本来の書く、という仕事以外のことに極めて多くの時間を費やし、結果としてそれが他の人に名誉を与えるだけの労力になっていたりもしています。

作者自身の体験したそれらのことに、良い悪い、正しいや間違っている、といった評価は記してありません。すべては作者にただ起こったことであり、どう受け止めるか、は読者である私自身の問題なのです。ただ、毎晩丁度本を開いた所に、その日、その時に抱えている苦しいこと、辛いこと、嫌なこと、どうしても我慢できないこと、それらに対して、そういうことだってまあいいじゃないか、と思える答えが書いてあるのです。

私はもちろん上等な人間ではありません。世間的にはごくごく普通くらいの人間かな、と思っています。このシリーズに出てくるようないわゆる、上流社会の方々とは一線を画した人間です。夜、一人本を読み進めた後は、まあ、そういう自分でもいいのか、という安心感を得ているのかもしれません。それまでは、苦しんでいる自分、辛い気分を味わっている自分をどうしても認めることができませんでした。また、時には周りの人や環境も認めることが出来ませんでした。そして、余計に辛さを増していました。しかし毎晩本を開くようになってからは、そういう醜い自分もすべて神の手の内にある、という安心感が生まれたとでも言うのでしょうか。眠い目をこすりながら毎晩のようにどうしても本を開いてしまうようになったのは、読みながら私がまるで浄化されているような心地よさを感じるようになったからです。

そこには、ご立派な文章を読んで、自らを反省しもっともっと努力をしなければ、と思わせるような説教臭さ、また自己を罰したくなるようなものは微塵もありません。ただ私がそこにいる。そしてその存在を丸ごと認められている、という安心感です。

第四〜六巻はタイトルも私にとっては重要です。『人間の幸福』『人間の意志』『人間の生命』(いのち)といったものは全て、人間が生きていく上で何が大事か、ということをそのタイトルだけですべて語ってくれているように思えるからです。

第六巻以降は、インターネットで手に入れるということを覚えました。まさか手に入るまい、と思っていたのにいとも簡単に手に入ってしまったのです。少し大げさな言い方かもしれませんが「人間の意志」あるところには、必ず道が拓ける。本当にそういうことを実感させられました。

つい二日ほど前に第八巻の『天の調べ』を読み終えたところです。天に抱かれている人間がどんなに大きな安らぎの中で生きていけるか。本当の暮らしがそこにあります。そして私は、終始一貫、大自然に対して頭の低い作者の姿に感動しながら、自らの傲慢さ、を滑稽に眺めています。ここでもやはり安心感、かもしれません。どんな人間も存在する事を認められている。人間は本来皆善いものである、という確信が得られたからです。人間は孤独ではありません。大自然に抱かれて生きています。だからもっともっと人間を信じてよいのだと思います。どんな人間も認められてよいのです。どんな他人でもどんな状態の自分自身でも。

きっと私はこれからも、様々な出来事にどうしようもなく右往左往するでしょう。他人のせいにしたり、自分を責めたり、悔しいことも、辛いことも、イライラすることもたくさんあるでしょう。しかし、そんな色々な自分とずっと付き合っていくのだなあ、と今は思っています。

さまざまな偶然が重なって、とうとう<神と人間>全巻を読み終えた今。その存在さえ知らなかったところから、なぜか偶然に手に入ってしまった最初の五巻。二巻まで読み通すのにかかった長い時間。第三巻を開いてから、急に全てを読み通したくてたまらなくなり、人との出会い、全巻をそろえる事など、あらゆることが展開していくその速さ。全ては最高のタイミングで起こった出来事としか思えません。そこに、人間の意志と神の大きな計画(はからい)を感じずにはいられないのです。紐解けば、私に対していつでも語りかけてくれる書、そんな不思議な書が<神と人間>なのです。

2006年3月21日 鈴木一花

(2006.04.07 掲載)

 

【註】文中の<神と人間>は、原文では<神のシリーズ>となっていました。ここでは<神と人間>への招待状としてすべてを<神と人間>に変更しています。(管理人)

 

【リンク】「教祖様」〜慈悲心で生き抜き「神」になった女性〜

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