― しあわせへの道しるべ ―

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ローマ法王との個人謁見

 

1951年のローマ法王ピオ12世に個人謁見する場面は当然真柱との対比を意識した挿話であろうが、

「信仰をつんだ有徳な聖職者のうちで、優れた枢機卿のなかから、面倒な手続きをへて選ばれた最高の信仰家で、キリストに代って創造神と人類との間をとりなす権威者」

から私にかけられた言葉は涙なくして読むことはできない。胸にしみるものである。

 

以前『死の扉の前で』を小文にまとめた際(*1)に、特筆すべき事がらとして上記のようにとりあげたことがあります。

作品のながれのなかでこの原作部分を読めば、本当に胸にせまるものがあったことを思い出します。

やはり、これは芹沢光治良の筆力がそのようにさせたのだと思いますが、前回(2月27日)の読書会でとりあげた「ローマ法王のメダル」(*2)は、作者自身別のことばではっきりと描写しています。私にとっては、ささやかながら重要な発見ですので、下記に引用しておきます。

(前略)私はK氏も予期しなかった法王との個人謁見の栄に浴したのだった。時の法王はピオ十二世であったが、残念ながら、この会見について書く紙数はない。ただ次の諸点だけは書きとめておきたい。

一、ピオ十二世は、この世で私の会った人で、最も聖なるものを感じた人であること。

二、私の仕事や家族のことまで情報を持っていたらしく、四人の娘の上の三人をカトリックの学校で教育を受けさせ、戦争中の重要な作品(「巴里に死す」)の女主人公を、カトリックに帰依させて救っている作者である私が、何故カトリック教徒にならないかと、ふと問われて、恩寵(グラース)がなくて――と、咄嗟に答えたものの、その後、私は折にふれて、わが魂に同じ問いかけを受けること。

三、常に世界平和を祈っていることや、それにつけても、大戦中の苦悩がどんなに大きかったかを打ち明けられてから、日本人の不幸や原爆と占領下の日本人について訊かれた時、双方ともGHQから公私ともに禁止されていることを話して、前年の春と秋二回ずつ広島と長崎とで見聞した悲惨をつぶさに述べたが、感動して聴かれたこと。

四、占領下の日本人の生活については、ララ物資に感謝したが、占領も永久ではなかろうし、日本人は優秀な民族であるから、必ず希望を持つようにと語られたこと。

 


芹沢光治良が第二次世界大戦の苦労をどのように乗り越えたかは『人間の運命』でも丁寧に描写されていました。

他のエッセイでは、敗戦からの復興を精神的な復興をふくめて前向きに取り組もう、という生のメッセージもありました。

この肉声のような覚悟を聴くことができるのが光治良文学の醍醐味ともいえるのではないでしょうか。

今まさに日本の危機はかたちこそちがえ、決して楽観をゆるすものではありません。

私は特定の宗教を信ずるものではありませんが、上記四のローマ法王のお言葉もこの際いただいて、希望と覚悟をもって進んでいきたいと思います。

 

 

(*1)『国文学 解釈と鑑賞』別冊「芹沢光治良――世界に発信する福音としての文学」p214(2006年)

(*2)『芹沢光治良文学館(12) エッセイ』p416〜

 

 

(2011.03.26)

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