― しあわせへの道しるべ ―

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「グレシャムの法則」を読んで

 

 

M・Mさんの作品紹介は こちら

 

Date: Mon, 05 May 2003 20:01:04 +0900

さわやかな季節になりましたね。新緑がほんとうに美しいです。おとといも恒例の読書会がありました。レギュラーメンバーの3人が所用でお休みのため、たった5人の読書会でしたが、とても楽しくやりました。 (この文章は、4月29日書きはじめました。)

テキストがいつになく現代的だったため、私もちょっとしゃべりすぎてしまったきらいがあります。芹沢文学のテーマの新鮮さにいつも驚きますが、おそらく営業マンという仕事柄からも非常に興味深いものだったのでしょう。

これは、深水医学士的特徴、山田医師的特徴にきれいに分けてみれば面白いのではないか? と思って、コピーをとって実際に色分けをしてみました。「ばかばかしいからやめておこう」とも思いましたが、予想外に短い作品だったため、また文学館が分厚いので、ほかに読むべき書籍を持参しなかったため、帰りの通勤電車のなかでなかばやむを得ずやってしまいました。

さて、この作品はふたつの方向から見ることができる、と考えることができるでしょう(ほかの見方もあるでしょうけれど)。ひとつは、誘惑が非常に多いけれども山田医師的なことはしてはいけない。いまひとつは、私たちは山田医師的なことに惑わされてはならない、ということです。

これは、私たちは謙虚に、本当の意味で賢くならなければならない、とか、ストイックで、しかも強くなければならない、ということにいきつくのでしょうか。大和言葉でいえば、つつしみとまことということでしょうか(こんなことを言っている私は、ぐらぐらのヨロヨロで、自分でも情けないのですが)。

まず「グレシャムの法則」を文学館のMさんの作品案内から引用してみましょう。

 

「悪貨は良貨を駆逐する」という法則を二人の医者になぞらえて表現した作品。当時バルザックの翻訳をしていた作者が、その手法を真似て書いた。実際書き上げてみるとバルザックとは程遠いものになったと後に述べているが、人物像に描き切れていないものも感じられる。脳の研究を本業とする医師深水は、格好も仕草も地味で、投薬も必要以上に行わず、口数も少ないが、腕の悪い山田医師は、全くその逆で何事にも派手で、商売上手である。ビジネスならば、それも非難されないが、人の生命を預かる医療業界では意味が違ってくる。しかし、見る目のない患者たちは、他の商売と同じように悪貨の医師を選んでしまうのだが、この事は、生命を大事にしない日本人に対する、作者からの忠告であるようにも受け取れる。

私は仕事柄ビジネス書を読むことも多いのですが(多分ほんとはそんなに多くはないと思う)、「グレシャムの法則」ではじめに驚いたことは、ついこのあいだも読んでいたような営業の手ほどきみたいな延長の話しである、ということでした。しかも結構斬新なんです(ちなみに、私はそういう営業の書も、決してあなどれないと思っています。たんなる善人の域をでない宗教家などより、よほど生きるということを説いているのではないでしょうか。たぶんもう小手先の見せかけは通用しないからでしょう)。

ここで、「グレシャムの法則」にみる事業を成功させるための秘訣をまとめてみました。

A)雰囲気や構え

  • 堂々と抱車で往診に来て(p192)
  • 黄色な荒壁の立派な洋館(p193)
  • → 偉くなければ、あれだけの構えを張れないものね(p194)
  • 山田医師の物々しい看板(p196)
  • 病室らしくいくつも窓のある三階建ての山田医院(p197)
  • 内部より概観が堂々としていた
  • 玄関前の庭の造りも立派
  • 患者の待合室か、薬局前の玄関か、兎に角、大通りからまる見えで、三四人の若い看護婦や、小児を抱えたり、おぶったりしている婦たちが、通りを往来する人々の目に必ずつくようになっていた
  • → いつ通っても、このお医者さんには客がいる。通行人はそう思うであろう。(筆者註・繁盛ぶりと宣伝効果)
  • 庭から通りにかけて、お抱えの車夫が暇さえあれば、丹念に掃除をし、水を撒いて、そこに、人の好さそうな婆さんが、山田さんの六つと五つの男の子を相手に、三輪車を押して遊んでいる(筆者註・あたたかい楽しそうな雰囲気)
  • 車夫が定紋つきの車を磨いていることもある(筆者註・高級感の演出)
  • 看護婦が暢気に庭先に下りて、大通りの三四軒むこうの蓄音器屋から聞える勝太郎の唄に、軽く調子をとっていることも(筆者註・親しみやすさの演出)
  • 先生の往診を見送って出て来た看護婦達やお子さんが陽気に笑い、車の上の山田さんも無邪気に微笑していることも(筆者註・親しみやすさの演出)
  • こうしたことが全部通りから、あけすけ見えて、誰も親しめそうで、入り易い感を与えるのであろう。山田医院は繁昌した(以上、p199)

B)容姿や見た目

  • 金縁の眼鏡をかけた山田さんは、丸顔にやさしく髭を蓄え(p191)
  • 偉い先生だと聞いて、老いた厳しい人を予期するのだが、先生は四十前の温和の顔に……(p193)
  • 山田医師が美男子(p194)

C)親切心、親身さを思わせる立居振舞い・パフォーマンス

  • 親切に細々したことにも目を配ってくれる(p192)
  • 先程も往診の通りがかりだが、変ったことはないかと寄ってくれたし、夕方に又熱を見に来ると云って去った。(p192)
  • 優しく微笑して、気軽に子供をあやしながら診察し、汚れた襁褓(おしめ)を殊更丁寧に検便して(p194)
  • 先生はわざと表情も変えずに、全く事務的に扱う、それが又、夫人達には安心のできることでもあり、顔を赤くせずに済むことでもあった(p194)
  • 分かりきったことを紙に書きつけ、煩わしい程の注意を与える(p194)
  • 「あなたの乳のような立派な方は、そう沢山ありませんよ」(p194)(筆者註・検査結果をよそおうハッタリ)
  • 注射が済むと、山田医師は白米を持って来させ、その分量をはかって――水を何合入れ、何分間瓦斯にかけ、その汁を取って、どの茶碗にどの位い一回に飲ませるのだと云う。しかも、同じことを丁寧に書いて渡し、明日の容態で書きなおそうと加える。その面倒な注意を、深水氏は見舞い客のような位置にいて観察し、手のこんだ医術(強調原文)に愉快にさえなった(p198)

D)素人の危機感を煽る

  • 山田先生は肺炎らしいから、部屋をどんどん暖めて、夕方熱が上がったら、又カンフルの注射をし、湿布するから (深水医学士の言では、「何でもないことですよ。ごらんなさい。もう四五日寝ていたら、それこそ薬を飲まなくてもなおりますよ」)(p192)
  • 赤坊の消化不良は時々不幸を招きますから、お乳は分析してみましょう(余程の場合でなければ、実際には乳の分析はしていない)(p194)
  • 母親が育児の経験が尠いと知ると、必要以上に長居して、育児法を説明して不安な母の心を掴む(p194)
  • 「これは大変お悪いようですな。悪くすると疫痢になりますよ」(中略)「熱は三十七度七分、脈も九十四、どうやら自己中毒を起こしているらしいですな」(筆者註・その実)僅か十分も前に診察した時には熱三十七度九分、脈搏八十あったことを思い出すと、深水氏は怒も忘れて、(中略)「舌もよくないですな。只今疫痢が流行していますから、気をつけませんと、疫痢の惧れは充分あります。この下でついこの二三日に三人も亡くなりました。(略)」「疫痢は手遅れが一番恐ろしいですから……(筆者註・注射)して置きませんと、この容態では引き受けられませんな」(以上 p197)

E)口コミ

  • 深水先生は実際診察料も安く、薬代は半額位いであり、その上、車代を払う必要もないが、それだけに、山田先生よりも腕が達者でないのかも知れない。隣のお屋敷でも、前の家でも、山田先生がかかりつけである。最近、坂の上の煙草やの子供も疫痢(筆者註・危機感扇動)だと云うのを山田さんで助かった。(p192)
  • 「山田さんて小児科は良いお医者様だそうですよ」間もなく、商人のお神さんや、お屋敷の奥様や、下の労働者の細君達は、お産をすると、必ず赤坊産湯を使わせながら産婆がそう云うのを聞くようになった
  • 「麹町で大変はやっていたのを引越して来て、只今でも態々向うから自動車で迎えに来たりするそうです。郊外には惜しい人ですって――」
  • 甲の産婆も、乙の産婆も、丙も同じことを語る(筆者註・実は、山田医師より宣伝料を受け取っている)
  • → 例外なく産婆の暗示にかかるのが常だった(以上p193)
  • (薬代、俥賃、初診料、往診料の高額さに)驚くのだが、夫人達はその前に山田先生に助けられたことを、近所隣に放送してしまう。それ故、山田先生は肩書きはないが、学士や博士より偉いのだろうと云う伝説が直ぐに伝えられた。「そうだろう、偉くなければ、あれだけの構えをはれないものね」「そんな名医だと云うのに、あの若さで、全く威張らないのも感心ですよ」
    街の人々は角の花屋の前で(中略)そんな噂をするようになった。(p194)
  • (筆者註・ずっと往診にきていた)俥が停らなくなったその日に、事務官夫人は少女を連れて散歩に出て、花屋の前でお神さんに、娘の疫痢が山田さんで助かったことを話していた。
  • (筆者註・年配の婦人が若い頃にはあまり聞かなかった疫痢や肺炎が最近多いようだが)その多くなった原因を極めることを知らないから、その難病を助けたと、屡々噂に聞く山田先生の手腕を信用し、尊敬さえして、(中略)「そんな厄介な病気がお子さん方に流行するようになった時に、山田先生のような偉い方が近くに引越して来て、皆さんも大助かりですね」これは花屋だけの考えではなかった。(以上 p199)
  • (筆者註・山田医師から深水医学士へまわされた)施療患者の方でも亦、深水氏の取り扱い方が坂下の医者達と違って、真面目に親切であることに気付くが、深水氏に感謝するよりも、この弟子らしい医者を持った山田さんの偉さを感嘆して、合宿所のような坂下の巣に帰ると、山田さんの親切をまず吹聴する――(p200)

F)そして、実態

  • 山田医師は程度の低い私立の医学専門学校を卒業したのだが、それも二回ばかり落第し……(p196)
  • (患者達は知識階級らしいが)なかなか医者の良否を見分けることができない(p197)
  • 深水氏は上手なでたらめを蔑んだが、女子大出だとか云って、育児法などについても、立派な意見を述べたてる夫人が疫痢だと聞かされると、医師の暗示にかかって驚愕し、冷静な判断力を失うことが、馬鹿らしくて、怒鳴りでもしてやりたかった。(p197〜8)
  • 疫痢だと思い込んだ子供が、実はそうではなくて、簡単に全快する時には、嚇かされた家族は、医者の力で恐ろしい疫痢が易しくなおったものと感謝する。深水氏は、山田医師の商売上手に呆れたのだった。(p198)
  • 「施療券のお方は残念だが、深水医学士の方に行って、診て頂くことにしてありますから――」そして、看護婦か車夫に、親切らしく通りの端に送らせて、深水氏の家を教えさせる。気の弱い貧乏人達はそれで本気にその言葉を信じて、山田さんの親切を感謝し、医学士を弟子に使用しているものと思い込んで(中略)深水氏の玄関を開けるのだった。(p200)
  • 「(前略)三四時間早かったら助けられたのに、山田さんは、金のあるものには大腸カタルでも疫痢だと云って、貧乏人には、疫痢でも大腸カタルと診断するんですよ。六畳一間に親子五人がいるものからは、注射代も高い薬代も貰えないだろうし、長く診ても儲からないと考えるからだが、実に人権問題だね」
  • 「(前略)あれも山田さんは残酷だね、二ヶ月も入院させて置いて、今になって自宅で静養しろなんて云うの。ガーゼが三四寸も入るんだからね。早く専門の外科に紹介す可きなのに、儲けるために漫然と入院させておくなんて、いる方も馬鹿だが、言語道断だな、あした大学病院の方に来るように云って来た」(以上 p204)
  • 「山田さんはひどいですよ、施療券を持った者はみんな僕の処に差向けるらしいが、それで下の区民は益々山田さんを偉い医者だと思い込んで、大病には、無理算段しても、山田さんを招こうとするのです。ところが山田さんは儲かりそうもない病人には不熱心で――」(p205)

と、ここまできて、

その時玄関が開いて、山田さんの車夫だと云う。一同は緊張したが、山田さんの次男が疫痢らしいから直ぐに往診を頼むと云うことだった。深水は返答ができなかった。

「深水先生いらしっては駄目ですわ、山田さんは博士以上だって云って、先生をどれ程軽蔑されたか知れませんもの。ねえお父ちゃん」

 (中略)

「自分の子供の診察は、私もなかなかできないのですから――」(p205)

と、深水医学士は診察にでかけてしまいました。

 

私(筆者)は、たいへん恥ずかしながら、「ついに山田さんに天罰が下ったぞ!」と思いました。「いい気味だ、あんたも家族に本当の疫痢患者をもったときの気持ちを味わいな」と、ある種、むねのすくような快感さえ覚えてしまいました。とにかく、ここまで山田医師の悪行三昧には、こちらのはらわたまでが煮えくり返るようでしたから。

しかし!!!

その子供はその夜のうちに息を引取った、山田医院では誰も気付かないように棺を出した。しかし、いつの間にか、その子供が深水医学士にかかって死んだのだと云う噂を、B街の人々は聞いた。(p206)

と、作品が締めくくられるではありませんか!

 

悪貨による良貨の駆逐ぶりが、こちらが苦しくなるくらい、実にたくみに描かれ、一時はその気持ちを解放するかのように山田さんの息子事件がもちあがりましたが、さいごの、この悪貨の駆逐ぶりは極めつけで、私は谷底にでも突き落されたように落ち込み、やり切れない思いでいっぱいになりました。

もっとも、山田さんの息子事件にむねがすく、などという考え自体に、じつに次元の低い自分を発見して唖然ともしますが、まあ、白状してしまいますと正直な気持ちではありました。光治良先生も、一見無自覚に善人を自認する人々への心の動きを想定しておられたでしょうか。(ああ、情けない!)また、山田医師の行為を「悪行三昧だ」と批判する資格が自分にあるのだろうか? ということも、やはり考えてしまいますよね。

以上、カッカするやら興奮するやらで、読書会でも雄弁(?)にしゃべってしまいましたが、メンバーの冷静なひと言で、これまたストンと胸におさまるものがありました。

「短いスパンでみるとたしかにそういうことだけど、自然には自浄力があって、実際これまで栄華をほこった大きなデパートや証券会社なんかもばたばたつぶれているでしょ。長い目でみるとなんてことはない、目くじらをたてるようなことではない……」と。

こういうことにも考えが及ばないほど、今日(こんにち)・只今的テーマに、私はしばしわれを忘れてしまいました。おそらく皆様、それぞれ各分野でいろいろと思い当たることもおありではないでしょうか。


それにしても、数種のビジネス書を読むだけでも、「いま不況だとかいっているけれど、だからモノが売れない、というのは間違いだ」といわれます。また、「モノがいいからといって売れるわけでもない」と。「そこにあるのは <売り方> だ」ということで、その売り方が大きなテーマになっています。

ただ漫然とモノを売るのではなく、これを買うことによってどんな「体験」ができるかを考えて売る、という考えもあります。これをエクスペリエンス・マーケティングというそうです。

さしあたり、A)の「雰囲気や構え」が大事なのは、高級感→幸福感、安心感などの「付加価値」をふくめてお客さんが買ってくれるからでしょう。同じ宝石なら愛読者のH氏から買いたい、と思うのもこれに関係するでしょう。

病院、学校、塾、着るもの、食べるもの、美容院…… 家庭で購買決定権をもっている主婦がこれらを利用するときに、どんなことが実質的・重要な判断材料になっているでしょう? ―― テレビ、ラジオ、雑誌、などの派手な宣伝広告ではありません。これはいわゆる「やらせ」要素がたくさん盛り込まれていることが常識になっているからです。

実は、ほんとうに信頼されているのは、主婦どうしのお互いの「口コミ」の内容なのです。なんといっても、やらせのない「生」の体験談なのですから。それを発見し実践し、マーケッティングのひとつの手法として確立・発展させている主婦の起業家の活躍ぶりもすごいようです。これを「クチコミュニティ・マーケティング」といいます。

してみると、このような手法そのものが悪いというのではなく、その手法に盛り込む商品やサービスの内容などに嘘、偽り、騙しはないか、どのような精神でその手法を利用しているか、ということをよくよく肝に銘じなければならない、ということになるのでしょうか。

クチコミマーケティングが生の体験談として重視される、ということは、これは実に説得力にみちてはおりますが、同時に、これがいかに危ういかは「グレシャムの法則」のなかでもよく描かれているところです。素人には、直感的、素朴な判断はできても、所詮専門的な判断は下しようがないからです。とはいえ、専門家で常識とされることも簡単にひっくり返ってしまう世の中ですから、なにを拠りどころとするか、これも非常に難しい問題ですね。


以上、メモはメモに過ぎません。しかもわざわざ下らない分類をした恣意的メモにすぎません。自分で読み返してみても、あたりまえですが、作品を読んでいるときの心の動きは、うっすら思い浮かべることはできても、再体験はできません。

私は、ある人がこの作品をすごく評価しているように見受けた経験があったので、実は非常に興味をもっていて、今回はじめて読んだのですが、まだお読みでない方はご一読なさってはいかがでしょうか。面白いですよ(いや、結構カッカとくるのですが――笑)。


ところで、ジョニーさんの「人物像に描き切れていないもの」について、もう少し詳しくおしえていただけないでしょうか? どうも「ふんふん、なるほど、ああいうところね」とピンときませんもので……


それでは、たいへん失礼いたしました。

 

(『芹沢光治良文学館(9)』収録

 

M・Mさんの作品紹介は こちら

 

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※ リンクがはずれている箇所を発見されたら、ご一報くだされば幸いです。(2004.11.04)