― しあわせへの道しるべ ―

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自由人……

 

自由人とは何を意味するか、信仰者よりも厳しく真理を求めることだ
芹沢光治良文学館5『教祖様』「再版のいきさつ」p553

 

私は、芹沢光治良のこの言葉がすきです。

私の信条そのものだから。―― そうであればカッコいいのですが、残念ながらそうではありません。あこがれのようなものでしょうか。

遠藤周作と自分をならべようとも思いませんが、彼はこう言います。

しかし私はすぐ気がついた。私の空想していた氏と実際の氏とは食い違いはないこと、このニコニコと笑いながら、優しく話される氏の内側は古武士のような潔癖さと忍耐心と、それからきびしい求道精神が存在しているのであって、それは後になって、氏からお手紙を頂いた時、はっきりとわかった。その手紙には、肺ガンの疑いがあったので自分は誰にも言わず耐えていたという一行があったからだ。

(阿部知二 芹澤光治良集『日本文學全集50』「付録」1964年、新潮社)

 

肺癌の疑いがもたれたのは1961年、光治良65歳のとき。

 
写真はN氏ご提供。

1959年7月フランクフルトのペン大会参加のためか、1962年6月ソビエト・ロシア作家同盟の招待による訪ソのための、いずれかの旅券用に撮影された写真。この眼鏡であれば1959年(63歳)ではないか? とのこと。

 

また、

私には芹沢氏のような強い意志、きびしい克己の精神がとてもない。氏の作品を読むたびにこの強い意志ときびしい克己心に憧れのようなものを感じる(前掲付録)。

とも。

 

 

ちなみに、ユング心理学者の河合隼雄は

「一宗派に帰依することよりも、自由人として真理をもとめて、それがかりに滅びの道であっても、それを選びたかった」という言葉に、彼の生涯を貫く、厳しい宗教的姿勢を見ることができる。

(『教祖様』月報。『芹沢光治良文学館5』1996年、所収)

と注目しています。

 

 

このあたりにつきましては、以前(2006年)『死の扉の前で』をめぐって「自立と厳しさ」という小文にまとめたことがあります(『国文学 解釈と鑑賞』別冊「芹沢光治良――世界に発信する福音としての文学」

 

 

ところで、昨年いごの読書会(2010年12月19日)で、このときはAKさんとたった二人きりで「ミケランジェロと語った日」(『芹沢光治良文学館(12) p382)を読んだとき、再会しました。「自由人」に。

すこし長くなりますが引用します。ほんとうは全文を是非読んでいただきたいエッセイです。


ミケランジェロの奴隷の彫像の部屋にはいったとたん、かつてここで感じたことのない異様な感銘に、私は囚(とら)えられました。

見物人が誰もいなくて、薄暗い広い部屋です。奴隷のさまざまな苦悩を表した大理石像が、何体も立っているのです。奴隷はすべて逞しい肉体をして、上向きに何か訴えているのです。私は部屋にあった椅子にかけて、独り奴隷像に向きあい、その訴えをじっくり聞こうとしました。すると、奴隷だった像はみな、ミケランジェロの化身に見えたが、すぐまた、ミケランジェロから私自身になり――いいや、人類全体の切ない呻(うめ)きが聞こえて来ました。私はミケランジェロの人間として、また芸術家としての苦悩を初めて知ったようで、結核菌や小さな家庭の奴隷である私の苦しみなど、物の数ではなかったと思いながら、仰ぐようにして、ミケランジェロとひそやかに対話をはじめたのです。主としてロマン・ローランから教えられたミケランジェロですが……

そして、

それにしても、あの秋、ミケランジェロの奴隷像にかこまれて痛感したこと――人間はさまざまな欲望や因習の奴隷だということを、今も改めて想うのです。

と。

 

 

「自由人」とは、「何ものにも束縛されない自由な人」というくらいの意味で、芹沢光治良なりに非常な重みをもたせた造語だろう。はじめのうち私はそのように理解していましたが、いつだったか、「奴隷」と対置する言葉なのか? と考えるようになりました。

だれかが、光治良文学とは関係ないどこかでそんなことを言っていたからだったような気もします。旧版の広辞苑をふくむ手持ちの複数の国語辞典に「自由人」という項目はありませんでしたが(現時点でのウィキペディアでは確認ができます。※本コラム末)、上のエッセイからは精神的な奴隷というようなこともふくめ、その対置としての自由人と考えることができそうです。

 

それにしても、やはり「自由人」というのは本当に厳しいものだ、ということは、冷静に考えれば容易に理解することができます。

私たちは古い因習から随分と解放され、大した根拠のない優越感のようなものさえいだいている可能性もありそうですが、じつは新たなさまざまな束縛の奴隷にみずからなっているようなことはないでしょうか。

「欲望の奴隷」ということでいえば、ひょっとすると古い因習からの解放に比例してがんじがらめになっている節もうかがえます。

その象徴が「お金」です。本来は画期的な仕組み、機能をもっているはずですが、私自身無意識にその奴隷になっているような気がしながらも、でもお金を否定することはできません。

森次郎(『人間の運命』の主人公。芹沢光治良?)もお金の本質を究めたくて、好きな文学の道をすてて経済学をこころざしましたが、結論はどうだったのでしょうか。

私は近年、森次郎ならどんな結論をだすのだろう? それをずっと本人に訊きたく思っていました。その答えを何となくもとめながら、今年もみなさんと一緒に光治良文学を読み進めていこうと思います。

 

 

※【自由人:じゆうじん】奴隷と対置して、自らの運命を自分で決めることができる人々。(ほか)

「自由人」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2010年11月21日 (日) 02:52 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/自由人 より

 

 

(2011.01.10)

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