― しあわせへの道しるべ ―

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「写真」を読んで

「写真」はなかなかいい作品でした。SOさんは「終始映像がうかぶようだ」と感想を述べられました。「グレシャムの法則」(参照<1>参照<2>)や「街の灯」につぐいい作品だ、とも仰いましたが、私にとっては、のっけから次の展開へ期待がふくらむ作品でした。期待感のあまり、作品の短さにおどろいたほどです。はじめは職業女性に光をあてる作品か? とも思いましたが、家庭におさまった女性の幸せを描いているようでもありました。

女子高等師範時代から寄宿舎でも同室だったやす子と順子は、共同生活を営みながらも東京市内のべつの女学校に奉職します。仲のいいふたりも、やす子が結婚することを順子に打ち明けたとたん絶交のような状態になってしまいます。みずから好んで地方に転任するなど、一方的にさけられることにずっと納得がいかなかったやす子は、三年後岡山への帰省の帰途、順子に会うことになります。

女教師として立派にやっている順子を見ると、「自分がわずかに一軒のわが家庭生活を煩わしく思ったり、百合子(*継子)のことで良人と感情をまさつしたり、愚痴っぽく埃りをたてている」(p538) 自分が恥ずかしく、春岡と結婚したことが淡く後悔されもしました。

しかし、ひさびさの小旅行の後わが家にもどり、良人との何気ない会話や実家でさえ味わえなかった自由さに、しみじみわが身のしあわせを感じます。若い未亡人が健気に生きるすがたを田舎でみて、やす子も深いところで感じるものがあったようです。

そして、百合子の母になりきれない自分に焦っていたやす子でしたが、旅のあいだの淋しさを怺えるためか、枕のしたに自分(やす子)の写真をおいてねていた百合子を発見して、涙があふれ出てとまりませんでした。

つまるところ、百合子の心に母(*実母、寄宿舎の室長でお姉さまとして尊敬していた草間文子)の記憶が消えないのではなく、自分の心に文子が消えず、良人にもすなおにたよりきっていなかった、と悟るのです。


あら筋はざっとこのようなものですが、はじめ「結婚」にたいする順子のかたくななまでの価値観が私は理解できませんでした。そしてやす子が結婚することを打ち明けたときの順子の反応。「順子は手にしていた物差や反物を膝の上におとして、呆然とやす子の方へ目を向けたが、血相が変り、顔も歪んで、神経が微動していた。」「順子は涙が拭いても拭いても溢れ出てどうにもならず、勝手の板の間にしゃがんで、コップから水をがぶがぶ飲んでいた。やっと胸がすいたように戻って来て、再び裁縫をはじめたが、顔は面をかぶったように硬張っていた。」

ほかに「あんたのゆうべの話ね、百合ちゃんがなければ、私は賛成するわ……あんたは自分の子として立派に育てるなんて、偉いことを云うけれど、教育者がいやで、結婚したくなったような人には、他人の子のほんとうの母にはなれないと思うわ」(p533) とか「偉い口をきくけれど、百合ちゃんの記憶から、文子さんを抹殺するほどの母になれなかったらどうするの。春岡さんが好きだから結婚するって、仰有いよ。その方が正直だわ」(*強調筆者)(p534) とえらい厳しいこと言うけど、もうちょっと素直に祝福したったらエエんちゃうん!? ――なんて思いました。

輪読のとき、この素直な疑問を呈したところ、「それは、それまでに順子が春岡に告白してふられていたからや」――当然やん!と言わんばかりのN探偵(別称:姉御)の見事な推理! たしかにこう考えるとすべてがうまく流れ出します。

そう考えると、自分がそこまで思い至らなかったことがちょっぴり悔しく、そんな当然のことが読みとれなかった自分が不思議でさえありました。

「順子女史はまだ結婚せんかな。あの頃から結婚をいそいでいたようだが」(p534) という春岡にやす子はハッとし、その続きを詮索したい衝動をなんとかおさえてやり過ごしましたが、なるほど、そういうことか、と納得できます。

「それで、百合ちゃんの方はどう。ほんとうのお母さんになり切れた?」「まあ成功したわ……私だって教育者でしたもの。百合子の心に文子さんの記憶を消すようにって、忠告してくれたのは、あんたでしたわね」「それなら、あんたも、そろそろ赤ちゃんを産んでもいいわね」という会話も……

順子はもてなしにおうすをたててくれましたが、やす子は、順子がいつ、どうして、お茶を習ったか不審に思いましたが(p539)、もちろんしかるべき理由で習っていたのですね。

N探偵の核心をついた推理に目を啓かれた読者がほかにもいたので、やはりこのような読書会は意義があるな、と思ったりもしましたが、しまいめには「枕のしたにあった写真が実母の文子のものだったらどうだったろう?」という恐ろしい意見まででてきて、とりあえずそんなことは考えんようにして終わってしまいましたが、愉しいひとときでした。


これから、農家はいくら手があっても足りない季節でしょう。それで、女学校は殆ど授業を休んで、労働奉仕をするのよ。生徒も張りきっているけれど、先生の方も辛いことはあるが、なかなか人生勉強になるわ。東京の女学生なんか、つくづく贅沢だと思うの、こちらへ来てから……私の女学校など、学校では藁草履をはいているのよ、その藁草履も手工の時間につくって。体操なんか跣でするし。それが、世間一般から考えて、一寸もおかしくないほど、地方の生活は、何と云うか、堅実になっているのでしょうね。私は東京の生活がばかばかしい夢だったと、近頃よく思うのよ

でも、それでは女学生が可哀相のようね

それは都会人の目からはね。でも、そうじゃないの。みんな質朴で、都会での私など感心するばかり……(後略)(p538)

ことしは、例年よりたくさんの台風に見舞われ、その規模も相当大きいものでした。豊岡など大規模な水害の直後は新潟県中越地震。都会と地方という対比は必ずしもなりたたないとは思いますが、私たちの生き方そのものをふり返るのにちょうどよいキーワード「堅実」「質朴」が提示されているようにも思いました。

『芹沢光治良文学館(9)』所収
(2004.10.24)

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