― しあわせへの道しるべ ―

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芹沢光治良のピューリタニティ、あるいはピューリティについて

 


標題のテーマについて、まずエッセイ「C伯爵夫人はどうしているか」より引用してみます。


前年(引用者註:昭和41年、1966年、光治良70歳)の五月末に、そのコモ湖畔の世界的な富豪、ロスチャイルド家の別荘で、二週間過ごすようにという鄭重な招待を受けた。ヨーロッパで最も信頼されている知識人を数人招くから、自由に語ったり、ゆっくり休養して欲しいとて、招待する著名な学者の名が数名あげてあった。名前は知っていたが、会ったことのない有名な人ばかりだった。

当時、日本の経済はまだ今日のように復興していなくて、外貨の保有額が少ないため外遊がなかなか許されなかった。ペンクラブの国際会議に出席する時でさえ、面倒な条件をつけて許可をしぶったが、許可されても、一日十二、三ドルで三週間分ぐらいの費用しか、ドルにかえてもらえなかった。そんな時であったから、ロスチャイルド家の贅沢な招待は、たいへん魅力があって、心が動いた。特に帰途パリに寄って、数年間パリに留学していた二人の娘のうち姉が帰国して、一人残って勉強している妹の方に会えるということも、心ひかれた。

しかし、私は迷った挙句辞退した。「人間の運命」という聖堂を独力で建てるのだと、細腕にペンを握って苦闘している最中(引用者註:刊行は昭和37年〜43年。光治良66歳〜72歳)であるばかりでなく、毎日堅苦しいフランス語を尤もらしく話すような生活が、息苦しいだろうと考えたからだった。

辞退してから、その招待を忘れた時に、外務省の文化情報部長から、電話があって、是非会いたいと言うので、出向いたところ、ロスチャイルド家の別荘への招待を受けるようにすすめられた。

その招待はユネスコの上層部のアイディアによって計画されたもので、数名の招待者のうち、東洋人は私が一人であるから、辞退は惜しいし、考えなおして欲しいと、熱心な忠告であった。ロスチャイルド家では、招待者一人一人に、独立家屋(パビオン)を提供し、勿論使用人もつけるから、家族同伴でとのことであり、ただ週三回、お茶の時間に招待者だけで、ひとつの問題について話しあい、しかもその話はテープにとって保存するものの、外部には発表しない(強調引用者)というような大変気楽なものであった。その上、滞在が気に入ったら、その後三週間、何らの拘束もなく自由に過ごして欲しいとの申し出であった。私の留学している娘のことを知っている部長は、ためらう私を励ますように言った。

――先生、パリに留学しているお嬢様もその頃にはバカンスになるでしょうから、お呼びになり、奥さまとご一緒に行かれれば、久し振りに楽しい家庭団欒を美しい北イタリアの湖畔で持てますよ、ですから是非お引き受け下さい……と。

費用は旅費からずべて先方負担で、身軽に出掛ければいいので、心が動いた。特にヨーロッパにいる間は、いつも、持病の喘息が起きなかったことを思うと、伽藍建築を一時休んで人なみにバカンスにしようかと迷った。

その時、家内が同じ方向を向くような妻であったらという想いが胸にかげったので、私は思いなおして、あくまで「人間の運命」の創作中であることを理由に、辞退を申し出て、先方にゆるしを求めてもらうように頼んだのだった――

C伯爵夫人は私を訪ねるなり、その話を持ちだして、伯爵の別荘もコモ湖畔にあるので、私がその招待をおえたら、自分の別荘で何日でも楽しんでもらおうと計画して、ラコンブ君といろいろ相談していたことを詳しく話した。私は招待を受ければよかったと改めて後悔したものだ。

「C伯爵夫人はどうしているか」
『芹沢光治良文学館(12) エッセイ
――こころの広場』p357

 

では、つぎに中丸薫氏の『闇の世界権力を追う――地球維新は日本から始まる』(2009年2月 竹書房)から引用しましょう。なお、原文における段落とは関係なく、読みやすいように改行しながら引用します。

 

世界は今、大きく揺らいでいます。人々は進むべき方向が見えずに途方に暮れているように見えます。

けれども今、本当に揺らいでいるのはあくまで既存の世界秩序に過ぎません。言い換えれば、今まで世界を支配してきた、あるいは世界を支配しようとしてきた勢力こそが揺らいでおり、途方に暮れているのです。

今までの歴史を振り返れば、世界は常に戦争や飢餓など悲惨な状況に満ちあふれ、大多数の人は、欲望にまみれた一部の人間のためだけに力によって服従させられ、理不尽な目に遭わされてきたことが分かるでしょう。

そうした不幸な世界はもう終りにしなければなりません。今までのやり方、今までの仕組み、今までの考え方とは、ここで決別しなければなりません。p10

 

「世界は一つ、人類の心は一つ」と私は信じています。世界平和のために、ワン・ワールドのために私は長らく活動してまいりました。

誰もが皆幸せを望んでいます。誰もが皆親しい人と一緒に幸せに暮していくことを望んでいます。世界中を飛び回り、要人の方から一般の方までお会いして、交流を深めてきたのもそのためです。

狭い範囲の身内ばかりとだけでなく、広く世界の誰とでも、人は仲良くなれるし、お互いの幸せを願い合えるのです。さまざまな立場の人のさまざまな生き方を実際に見聞し、自分自身で体験することによって、私はそのあたりまえの真実をあらためて認識しました。

ところが、その当たり前のことがなぜかなかなか実現しないばかりか、現実にはかえって逆のことばかりおきています。「どうしてなのだろうか?」という疑問がいつも私の心の中に澱となってよどんでいました。p11

 

メディアで悪しざまに言われている人物が、会ってみると報道とは全く違うという体験を繰り返すうち、次第に私はマスコミへの不信感が募るようになりました。私がテレビなどで「それは報道されていることとは違います」と、核心に触れる発言をしようとすると途端にさえぎられたこともあり、マスコミは意図を持って一定のイメージに人々を誘導しようとしていることに気付かされたのです。

それは誰の意図なのか? そのようなことをするのは、できるのは誰なのか? さまざまな体験を通して、おぼろげながらその何者かの正体が分かってきました。そしてある時、それが正解であったことを知らされたのです。p13

 

私が言うワン・ワールドは、人間が人間らしく生きられるような世界のことです。

そのためには一人一人の人間がまず自立を果たさなければいけません。周りに流されているだけ、ただなんとなく生きているようではいけません。それでは決して自分の人生を生きることができません。状況に応じた行動をプログラミングされたロボットとなんら変わりがないではないですか。

人生は何のためにあるのか、自分は何のためにこの地球で生きているのかをしっかりと考えることが大事です。自分とは何者か、自分のなすべきことは何かをはっきり自覚することで、人は充足を知り、充実感に満ちた生活を送ることができるのです。己の人間性を回復すること、その人間復興を通してこそワン・ワールドは達成できるのです。

自覚し、自立した個人がネットワークを広げ、結びつくことによって世界はその姿をより良く変えるのです。常に自分の頭で考える習慣をつけましょう。既存のシステムに全面的に身を委ねてはいけません。システムは個々の幸せを考慮することなく、あなたという人間のことを考えることなく、ただ効率のみを目的に築かれたものです。そして往々にして、それは「闇の権力」にとって都合がよいものなのです。

あえて言えば、「闇の権力」とは欲望の権化です。なにもかもが欲しい。もっともっと欲しいという欲望が、結果、彼らをして世界支配へと駆り立てているのです。そして彼らの欲望が行き着いた場所が、世界の危機という現状なのです。

闇の権力者たちは、もはや自分でもその欲望をコントロールできていないように見受けられます。混乱の中で、それでも昔ながらのやり方を押し通そうとしているに過ぎません。

今こそ世界復興の絶好の機会なのです。もちろん彼らはこの状況に応じて彼らなりに、自分たちの力を維持し、かえって拡大させようと悪あがきをすることでしょう。「闇の権力」の断末魔の悪あがきと、世界復興のために人間復興を行おうとする人々が対峙する、現在はそういう時代なのです。p15

 

デビット・ロックフェラーに会った時、「世界は一つになります。ワン・ワールドです」と彼は言っていました。私はその時は思いを同じくしているのだと喜んだものですが、彼が中央銀行の役割を重要視し、経済的な側面ばかりを強調するのに首をかしげました。

今から思えばあれは、国際金融を通して世界を全て支配するという、別の意味のワン・ワールドであったのですね。そこには人々の幸せや互いの友愛はなく、力でもって強いられる隷従があるのみです。

武力、金力、権力でもって一部の支配者たちに多数を隷属させるワン・ワールド、そんなものは願い下げです。p14

 

2つの世界大戦後、アメリカの台頭とそれによるロックフェラーの華やかな活動と比べ、それまでとは違い、ロスチャイルドの名前は次第に注目を集めなくなります。しかし、それは役割が移り変わったに過ぎません。長い闇の権力の歴史の中ではロスチャイルド家もまた新興勢力に過ぎません。鉄砲玉として、フロントとして活躍してきたロスチャイルド家の格が上がり裏方に回って、代わりにその役目をロックフェラーが果たしていると見るのが正確でしょう。

実際に昔、私は東京で、キッシンジャーがビクター・ロスチャイルドに鼻であしらわれている姿を目撃したことがあります。デビッド・ロックフェラーの厚い庇護を受け、大統領専用機で世界を闊歩し、恐れるものなど何もないかのごとき威勢を誇っていた彼でしたが、その時ばかりは神妙な面持ちでした。そこにロスチャイルドとロックフェラーの地位関係が表れていました。ロスチャイルドから見ればロックフェラーはまだまだ駆け出しの、使い走りの家でしかないのです。p109

『闇の世界権力を追う
――地球維新は日本から始まる』
(2009年2月 竹書房)

 

中丸薫氏の世界の見方がほんとうに正しいのか、私には判断できません。実際一連の著作を読むと、愕然とすることばかりです。当初は驚愕の連続でしたが、もしそう考えるなら……… なるほど! ―― 世の矛盾がかなりすっきり納得できることもたしかです。

 

それでは、そろそろ本題にはいりましょう。

 

世の裏側を告発する評論はフォローしきれないくらいたくさんありますが、上のような告発をふまえていた私は「C伯爵夫人はどうしているか」を読んで、まず「よくぞそんな世界に足を踏み入れない芹沢光治良であったことよ!」ということに心から胸をなでおろしました。そして誇らしささえ感じました。

もし芹沢光治良があの招待を受けていたら、彼にとって間違いなくちがった運命がひらけていたでしょう。しかし、それは間違いなく、いま私たちが慕う芹沢光治良にはならなかったでしょう。

引用中「ただ週三回、お茶の時間に招待者だけで、ひとつの問題について話しあい、しかもその話はテープにとって保存するものの、外部には発表しない」を強調しましたが、これが、中丸氏のことばを借りるなら「闇の権力」が世界の叡智を自分たちにとりこむ常套手段であったのだろうと推測されます。こんな世界に一歩足をふみ入れたが最後、「欲望の権化」への仲間入りしかありません。


ちなみに辞退の理由は、つぎのとおりです。

1.「人間の運命」という聖堂を独力で建てるのだと、細腕にペンを握って苦闘している最中である

2.毎日堅苦しいフランス語を尤もらしく話すような生活が、息苦しいだろうと考えた

3.家内が同じ方向を向くような妻であったらという想いが胸にかげった


これらは一見して、積極的な自己の意志から辞退しているようにはほとんどみえません。いずれも断らなければならない傍証のような列記です。


1は、たしかに芹沢光治良にとっての大義ではある。しかし、絶対的な理由であったかどうか、疑わしいとまではいわないが、不明

2は、行けない(あるいは行かない)悔しさに対する、自分から自分への必死のなぐさめである

3は、これは明らかに人のせいである


結局「こんな理由で行けなかった」という悔しさのようなものがにじみ出ており、実際「改めて後悔したものだ」ともあります。


が、ほんとうにそれだけだったろうか? と考えてしまいます。

次郎が田部氏の養子にならなかった本当の理由の野乃宮紀子説は、私には目から鱗でした。芹沢光治良はいろいろなところで、ああでもない、こうでもない、ということをいっているのですが、結局は

実父の精神の美しさを密かに敬愛していたことにあるのではないだろうか。

精神が育ちきらない幼少年期こそ、親のいない淋しさ、憎しみ、憤り、怒りの念とともに、親を思ったに違いないが、長ずるにつれて、気高いものに一生を捧げたその生き方を理解し、共鳴し、潔いと思い、美しく感じ、畏敬の念を抱くようになっていく。実父常造は、時が経つにつれて、次郎の中で圧倒的な存在感を増していったのではないだろうか。

<『人間の運命』に描かれた父親像>
国文学解釈と鑑賞 平成16年4月号
「特集:近代文学に描かれた父親像」(p186)。

ということです。

あくまで一説にしかすぎませんが、しかし、それまでそういうふうには考えたこともない私ではありましたが、この指摘からはたしかに「なるほど、そうにちがいない」とうなづけるのです。

結局、本人は一番大事なところ、核心についてはふれていないのです。

今回の辞退も、本当は「やはり行きたくない」気持ちがもっと別のところにあったのではないでしょうか?

次郎は一高にあがったときだったか、奨学金を得たときの屈辱や息苦しさや何ともいえない精神の束縛が心底身にしみて嫌だったのではなかったでしょうか?

ただでそんな贅沢をさせてくれる。ただより怖いものはない、ということの「自由でなさ」が、自分を差し出すくらいなら身の滅びをえらぶ真の自由人であろうとした芹沢光治良にはおよそ受け入れがたいことだったのではないだろうか、と思えるのです。

芹沢光治良は『死の扉の前で』で自分のことを「ピューリタン」といわせています(p148)。このときはほんとうにそういわれたのではないかと想像しますが、辞書には次のようにあります(学校では「清教徒」ともならいました)。

 

ピューリタン(Puritan)は、イギリス国教会の改革を唱えたキリスト教のプロテスタント(カルヴァン派)の大きなグループ。市民革命の担い手となった。

清潔、潔白などを表すPurityに由来する(Puritanで厳格な人、潔癖な人を指すこともある)。もともと蔑称的に使われていたが、自らもピューリタンと称するようになった。

「ピューリタン」
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
最終更新 2011年5月6日 (金) 14:02 UTC
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/ピューリタン より


「‐ity」は「状態」「性質」を表現する接尾辞、つまり、「Puritan」+「ity」でピューリタニティ。「ピューリタンさ」というところでしょうか。

芹沢光治良も天理教のなかのピューリタンとされては大きな迷惑でしょうが、たしかにいい得ています。派生義の「厳格さ」などまさにピッタリですが、そもそもの由来元のピューリティでもいいかもしれません。

(ちなみに、「pure + ity」でピューリティ。「ピュア、純粋な」の名詞形で「純粋、純粋さ」)


あるいは、「3.家内が同じ方向を向くような妻」でなかったことが理由(のひとつ)であれば、それはそれでよかったのではないかと思われます。

山本正夫氏のプラマイ理論(*)ではありませんが、そのお陰で好ましからざる世界へ引き込まれることがなかったのです。絶妙なブレーキだったのか、守り神だといってよかったかもしれません。
 

 

――こんな発見がありました。

 

 

 

(後 記)

「C伯爵夫人はどうしているか」を読書会でとりあげたのは、昨年2010年の7月〜11月のいずれかの月です。いま引越し騒動で手帖がでてこないため確認できないのですが(どなたか教えていただけませんか? メンバーの方)、私の感想を発表したら、幅広く読書をしておられるKOさんからすかさず「いまの文章にしたら」と勧められました。

はじめはそんなつもりはありませんでしたが、たしかに大きな発見で心もうごいていましたからアドバイスにしたがうことにしました。さっそく中丸さんの書籍10冊ほどから引用するのにもっともふさわしい箇所を探しはじめました。あまりラクな作業ではありませんでしたが、こちらは比較的短時間でおえました。

あとは、なかなかまとまった時間がとれなかったり、気がすすまなかったりで遅くなりましたが、今日ようやくまとめることができました。

これも、昨日のKOさんからの来月の読書会情報の問い合わせメールが引き金でした。失礼いたしました。一緒に更新しておきましょう。

 

 

(*)プラマイ理論:山本氏のオリジナルではありませんが、世のなかプラスと思っていることが必ずしもプラスではなく、マイナスと思っていたことが案外マイナスではないんだよ、という人生哲学。「難有り、有り難し」の境地。

 

本来たいへん有り難いことなのに、
いつしかあたりまえのことになり、
気がついたらそれが命取りになっていた……

ひるがえって、「なんでこんなに辛いこと……」
としか思えないようなこと、つまり

「マイナス」でしかあり得ないようなことが、

じつは大自然からのたいへんな贈り物、
サムシング・グレートからのこの上ないギフト、
プラスのきわみなんだ、と……

(2011.05.29)

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