― しあわせへの道しるべ ―

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結婚生活の完成?

 

前回の読書会にも岡山の山本正夫氏にご出席いただいた。年に2回ほどおいでくださるようになって、もうどれくらいになるだろうか。

岡山の山本氏といえば、光治良先生の晩年作『人間の幸福』で「岡山のY氏」として登場する実在の人物である。若くして奥様が失聴され、それこそ他人には知りえないご苦労やつらさがおありになったにちがいないが、それにもかかわらず、なのか、それだからこそ、なのか、あるいはそのどちらもなのか、「人間の幸福」を地で行かれるおふたりを、光治良先生がすばらしい生きた実例として作品に登場させたのだろうか。

そんな山本氏の謦咳に接することは、あわただしく流れる日常生活のなかでどれほど幸福なことであるか、としみじみ思う。並大抵でない苦労を感謝とともに乗り越えられた、まさに人生の師ともいうべき人の口からもれでる言葉は胸にしみるものである。その気になれば様々な書物をとおしてそのような世界に接することは可能であるが、生きた人と時間を共有することはまた、格別なものがあると言わねばならない。

もっと嬉しいことは、やはりおたがいに芹沢光治良を敬愛してやまない、という接点があるからであろうか。

 

さて、今回の読書会(2007年11月25日)のテキストは「結婚新書」「文芸手帖 随筆」 『芹沢光治良文学館(11) エッセイ――文学と人生』 p451〜476)であった。ひととおり輪読をし、山本氏が重要とお考えになる箇所をエピソードをまじえていろいろとお話くだされた。私も感ずるところは備忘録「結婚新書」結婚観・実母観「光治良語録――結婚をめぐって」 としてメモをのこしたとおりだが(2007.07.15)、山本氏のつぎのお話には意表をつかれた。

結婚生活は相手がなくなったときに終るのではない。そのときから結婚生活の完成がはじまるのである、と。

―― そのようなことは考えもしなかった。ほんとうに考えたこともなかったが、しかし、このように指摘されれば、深く納得されるところではあり、また考えさせられるお言葉である。これはこちらを閲覧されるみなさまにぜひともお裾分けしておきたい。

 

ところで、山本氏には『失ったもの 得たもの』という自費出版の著書がある。聴力という一般的にはあらためて意識されることさえなく、あってまったくあたりまえのものを失って、それこそ谷底にも突き落とされたようなシビアな経験をされたからこそ得た、真に豊かなものを私たちにおしえてくれるのだが、そのような人から「現在《マイナス》と思っていることが、本当は《マイナス》などではないのだ。《マイナス》は、長い目でみれば、本当は《プラス》なのだ」という話をきかされると、心からなぐさめられ勇気がわいてくる。

また、あるとき「ロープウェーで『登山した』と思っている人が多い」という老師の言葉にハッとした、とおっしゃられたが、なかなかできない、うまくいかない、などと、いつも心のどこかで焦り、自分を小さく、腑甲斐なく思い、よろこべずに燻っていることが、なんだかバカらしくなってくる。「その道中が大事なのだから、それでいいのだ」と。

岡山理科大学で山本正夫氏の「実践的幸福論」を履修したOB、OGの諸兄諸姉にはなつかしい話ではないだろうか。

氏の母上がおっしゃられたという「通さぬは、通すがための道普請」これもよく聞かされた言葉ではないだろうか。

 

少し話がずれていったので、もう少しこのままずれてみよう。

学生時代に山本正夫氏の「実践的幸福論」が受講できたなんて、本当にうらやましいかぎりである。私もそのころにそんな貴重な体験をもっていれば、もっと…… などと考えたくもなるが、人には人それぞれの課題があるので、それぞれがそれぞれの方法で黙々と取り組むよりないのだろう。

いい話は何度聞いてもすぐに忘れてしまうものであるが、もし、あのなつかしい山本氏の講義をふたたび聴講してみたい、と思われる方があれば、多少形態はちがうけれども大阪の読書会でなら再体験できる。いまはなき(2007年3月で閉講)、理大名物の山本節がきけるのである。ときどきこのサイトでの予告をチェックされたい。なお、急遽来阪がきまることもある。こちらからの案内を必要とされる方は要ご連絡。参加資格は「参加したいと思うこと」とでもなるだろうか。

 

本来はプラスのものを、マイナスだと勝手に思い込んでいぢけている……

天国も地獄も、戦争も平和も、やはり私たちの心のなかにあるものなのだろうか。あくまで私たちの想像(創造)の産物なのか。

私たちは「得たもの 失ったもの」にもそろそろ気づきはじめている。

いい世の中にしていくには、まず私たち一人ひとりのしずかな決意が必要なのだろうか。心をつよくしたい……

(2007.12.08)

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