― しあわせへの道しるべ ― | |
芹沢光治良の文学の世界を ささやかながら ご案内いたします。新本、古本、関連資料も提供いたします。 |
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Serizawa Kojiro
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『神の微笑』文庫化によせて――読者の声 7) 平易で、とてつもなくなめらかでわかりやすい文体 「神の微笑」の新潮文庫本が26日(※)に発売されましたので再読してみました。芹沢文学作品をたくさん読んでいる人ほど「神の微笑」の理解も深くなるのではないかと思っています。 平易で、とてつもなくなめらかでわかりやすい文体は神の文章といえるでしょう。人間の技は磨けばみがくほど神の領域に近づくとおもいますが、芹沢先生の筆は神の筆そのものと感じます。 宗教に帰依する人たちは、神の言葉でない言葉を神の言葉として吹聴しています。宗教とは「神の啓示」そのものであるのにその天然自然の天啓から遊離して、自分達に都合のよい人工教にしていって、お金のパイプラインを正当化している宗教というものに私たちはもっと疑問をもち否定していく良識を育まねばなりません。 私の主観ですけれども、神様が私たち人間に対して、○○でなければならない。と言っていることは、たった一つしかありません。 それは、「神の存在を信じなければならない」という一句のみです。 「神の微笑」の中で、中学に進学した次郎が乾性肋膜炎になると、天理教信者のエライさんがきて、すぐに退学して天理教の青年になって神に奉仕するように、このまま通学を続けるならば死ぬぞと言って、それがあたかも神の言葉であるごとくに説教に使用した。それを「神の言葉」だと信ずる人は少ないと思います。 しかし、たとえば、「親孝行をしなければならない」「夫婦相和し愛し合わなければならない」と神は言っているぞ。と聞けば、そうかも知れないと思う人は少なくないかも知れない。そこへつけ込んで入り込むのが人工教である宗教なのです。神はそんなことを、でなければならないなどとは言ってない。 ただ一言、「神の存在を信じなければならない」ということだけです。 神の存在を信じられるならば、あとは自らを律する働きに機能するわけですから、それ以上のことを言う必要が無いのです。私は芹沢先生からそのことを教わったように思えてなりません。 ※2004年(平成16年) 1月26日 |
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