― しあわせへの道しるべ ―

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Mt.Serizawa 登山記

 

岩部 一宏 (Kazuhiro Iwabu)

 

 一年ほど前、その山は突然、私の前に姿をあらわした。それは、それまで目にしたことも、登ったこともない、未知の山だった。その山は、「Mt.Serizawa」または「芹沢光治良峰」と呼ばれている。その頂(いただき)は、雲を突き抜け、天上まで達している。他のいわゆる「文壇山脈」とは距離を置いた独立峰として、また「知る人ぞ知る」名山として、その秀麗な姿を見せている。

***

 私に「芹沢光治良」の名を知らしめたのは、後藤繁雄 編著『独特老人』(筑摩書房 2001年)だった。市の図書館で、帰り間際に何気なく手に取ったその本が、新しい旅へと私を誘うこととなった。そこには、大先輩の方々の深くも濃い人生の奔流があふれていた。その中でも、芹沢光治良 − 無知にも、その名をそれまで全く知らなかった − の語り口とその内容は、異色で柔和な光を放っていた。

***

 この山を登りはじめたばかりの私が、「登山記」を記すことは、種々のあやまりや見当違いがあることだろう。先輩クライマーのかたがたにとっては、無謀さや無茶さが目につくに違いない。若輩者、登山初心者の暴走と御許し願いたい。

 その「Mt.Serizawa」には、登山道がいくつかあるようなのだが、私はとっかかりを掴みかねていた。まず手に入れることのできた地図を頼りに、ひとり登りはじめた。その地図のタイトルには、『Kami no Hohoemi』と書かれてあった。私は、期待感から思わず先を急いでしまい、高山病にかかったように、「めまい」を覚えた。しばらくそこにたたずみ、その場所の清冽な空気に慣れるにつれ、視界は明るくひろがり、その風景に私はすっかり魅了されてしまった。

 私が手にしたその地図は、まさに天上へと続く道を示していた。熟達クライマーの多くは、その地図が世に出る前から、すでにそのルートを登っていた。熱心なリピーターが生まれた反面、その地図自身が放つ異種の光がゆえに、「とまどい」や「疑問」を持たれた人もいるようだった。私が感じた「めまい」も、それに因(よ)るのかもしれない。

 私が歩みはじめた登山道は、その標高が上がるごとに、新たな地図が現れてきた。あわせて八部の地図を頼りにして登り着いたところは、ふもとの喧噪からは思いがよらないほど静謐で、エネルギーの溢れる場であった。私は、その地に留まりたかったが、
 「その身体があるからこそ、下界で学ぶことがある」
という木霊(こだま)が、どこからか聞こえてきた。そして、そこから上に登るには、自分自身で描いた地図が必要だった。そこは、私にとって、まだ不相応な場所であり、また下界の街に帰らなければならなかった。

 「Mt.Serizawa」をいったん下山して振り返ってみると、雲間から射した日の光が、幾本もの光芒となり、新たな登山道を照らし出していた。そのひとつ、山頂を源とする大河に沿った登山道には、各所に「展望台」があり、この世界を広く見渡すことができ、そして時代の流れを長い目で俯瞰することができる。それとともに、自らの立ち位置について、「ここはどこなのか。どこに行こうとしているのか?」と自問するようになる。その思索の糸は、このルートを登るためのザイルとなり、『Ningen no Unmei』という地図がガイドとなる。

 また、山の北面へと続く道には、この山の「要石(かなめいし)」ともいうべき巨大で荘厳なイワクラがあり、そこは深い祈りの場所となっている。数十年前、ここで四人の青年達が、将来を誓い合い、そこが新たな出発の地、転機の場所となったそうだ。後生の登山者である我々は、そこに、時代の激流に流されなかった道標を見る。

 この山には、未踏の登山ルートがあるらしいのだが、「山を制覇する」というより、「山と対話する」ということがふさわしい。それは、単独行でもいいし、パーティーを組んでも良い。もしかすると、高度な技術や重装備を必要とする、急峻な岩場があるかもしれない。しかしながら、この山においては、「あとさき」や「勝ち負け」、あるいは「名声」とは無縁である。


 霧が山々を覆いはじめ、進むべき道がかすんで来ている。私のコンパスは、今どちらを指し示しているのだろう。「Nature」(大自然のふところ)だろうか?「Nowhere」(どこでもないところ)だろうか?

 

 

初出:芹沢光治良文学愛好会
通信2006年8月
リレー随筆(269)

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(2006.08.30 掲載)

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