― しあわせへの道しるべ ―

芹沢光治良の文学の世界を ささやかながら ご案内いたします。新本、古本、関連資料も提供いたします。

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Eさん追悼文「雨上がりの坂道」

(大阪府 T.N)

小雨が降る中、丘の上にある納骨堂へ向かって、坂道をゆっくり登って行った。

読書会メンバーだったEさんを送った一年前も、告別式直後に突然激しい雨が降りだした。修道院の方が車を用意して下さり、勧められるまま乗り込んだ小型車の、フロントガラスに打ちつける滝のような雨。

前かがみでハンドルを握るシスターの緊張が、後部座席に伝わり、誰もが口を閉ざした。

ほんの二、三分でバス停に着く。再び別れの挨拶をかわして、駅に向かうバスに乗り込んだ、あの日から、ちょうど一年。一つづつ、記憶を拾いながら歩いて、礼拝堂のある建物の前までやって来た。

毎月第四日曜日に、作家芹沢光治良の作品を読む集まりがある。十年余り前、偶然に知ったその愛読者の集いにはじめて参加した私は、その後、ほとんど休まずに出席している。

入会したとき、Eさんはすでにその中にいた。十四年前の発足当初からのメンバーだったという。最初の印象は、おだやかな、笑顔の耐えない年配女性。あまり発言はされなかった。

二、三回目に、言葉をかわした。話しながら、私は驚いていた。白髪で化粧のない顔から受ける年齢の印象と、その話し声の若々しさに、大きなギャップがあったから。

高音の澄んだ話し声は、歌っているようで、思わずじっと見つめた。驚ろきは、その美しい声だけではなかった。ゆっくりとしたおだやかな語り口の中に、着地点を見極めた、作家への愛着が感じられる話しぶり。私はたちまち共感を覚え、うちとけることができた。

この集まりを知るまで長い間、孤独な一読者だった私が、ようやく巡り会った読書仲間。とても大切なものを共有することができる分身に出会えた、と思えるほどの感激だった。

四年余り前、Eさんに異変が起きた。おやっと思うほどの変化が容貌に現れて、読書会欠席も目立ちはじめた頃、詳しい病状がはじめて知らされた。進行性の膵臓ガンだという。

深刻な事態に、皆が動揺した。個人的な生活に、大きく立ち入らない、シンプルな交流を続けていた会のルールが、自然にEさんの闘病と寄り添う形に傾いていった。

クリスチャンのEさんが、自らに課していたと思われる、生命の捉え方の、謙虚で従順な生き方が、病者のEさんを通して、むしろ我々の側に、安らぎを与えていたのではなかっただろうか。

彼女にとって死は、新しい世界への旅立ちだったのだろう。誰もが必ず迎えなければならない死を、語ることがタブーでなくなりつつあるようだ。

自分の死を見つめることは、生を考えることにつながる。愛読する作家芹沢光治良が、作品を通して読者に語るテーマの一つ「個の確立」は、自立した人間の知性の鍛錬であると、私は捉えている。個の確立は個人主義で自己中心的な考え方と誤解されそうだが、多数派に押し流されることのない、真理を見極める目を養う学びを、この文学によって得られたと、私は思っているのだが。

しかし、現実には、直面している生命の終りの時を、自己を失わず正視できるほどに、自分を高めることが私にできるのか。耐え難い痛みに、本来の自我が醜い姿で現れた時救いを何に求めるのだろうか。

Eさんの闘病姿勢が、私や読書仲間に見せ続けたのは、一つ一つの疑問への実証による答えであったような気がする。

「血族のない分煩わしい束縛もなくてサバサバした人生」と孤独な生活を笑いとばしたEさん。

孤独と、病魔との格闘を支えた強い意志は最終章の時と場所を、キリスト教会設立の病院にゆだねた。自らの手で集めた、白い終の衣裳をまとい、神様の元に嫁ぐような喜びの表情で旅立ったと、最期を看取ったシスターが話された。我々はその場面を心から信じることができ、感謝の言葉を伝えた。

Eさんと別れて、一年が経つ。残った我々に、彼女の死は今も多くのことを語りかけるようだ。

「あっぱれな死にかたやったね」。感慨のこもった声で、仲間の一人が言った。

人間の最終章で、残った者に感動を与えた数少ない人の一人なのだろうと思う。

再び会うことのできない寂しさが、胸に迫る。ふと振り向いたら、笑顔のEさんに出会えそうな気持の甘えを、断ち切って、納骨堂のある丘を下って行った。いつの間にか雨が上がり、道端の若草に雨のつゆが光っていた。

また来年会いに来ます。もう少し読書量を増やさないと、なかなか追いつけそうにない。私の修行はまだEさんの半分にも達していない気がする。

2005.06.30

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