― しあわせへの道しるべ ― | |
芹沢光治良の文学の世界を ささやかながら ご案内いたします。新本、古本、関連資料も提供いたします。 |
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Serizawa Kojiro
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読書会
輪読成功ものがたり
2004.07.25(第165回) 今日の輪読はひとまず成功をおさめたようです。短編のなかでもとくに短いもので――「冬のはじめ」(『芹沢光治良文学館(9)』所収)――、いつものようにかなり脱線しながらも、作品を中心にひきしまった感がありました。今後継続していくことへ大きな期待がもたれます。 ところで、いざやるぞ、という段になってやはり反対の声があがりました。例のごとく、この殺し文句を言われては、という発言がありまして…… その殺し文句というのも、「私も読まなきゃいけないんだったら、こんどから来ない」というものです(まるで駄々っ子やなぁ)。もちろん、笑いながらそう仰います。しかし、以前提案したときも、どこまでが本音でどこまでがそうでないのかを量りかねた私は、たしかに、望まれない時間をこの場で提供するのもなあ、、、と躊躇する気持ちがまさりました。 ところが、今回はこちらから切り返しの切り札をきることができました。 共時的というのでしょうか。「意味のある偶然の一致」というくらいの理解でいいかと思いますが、ちょうど私は先週、東北大教授の川島隆太先生の講演を拝聴する機会をえたのです。 川島先生といえば、「脳を鍛える大人のドリル」とかいう一連の書籍が書店でも山積みになっている時の人です。みなさんもよくご存じでしょう。 私は子供の教育への関心から、「百マス計算」でおなじみの陰山英男先生の書籍を何冊か読み、そのなかで時々紹介されていた川島先生のことが頭の片すみでは気になっていました。しかし、ほかにも読みたいものがあることや、まわりがあまり騒ぐと何となく遠巻きにしたくなるヘソマガリ心理がはたらいて、そのままになっていたのです。 それが、このたびある身ぢかなきっかけからお話を聴くことができたのです。 (私は子供への関心から出発しました。このなかのみなさまは、そういうステージはすでにご立派に卒業なされた方も多いと思いますが、案外そうとも言い切れないのですよ!) すでに川島先生のご著書を何冊も読まれた方もあるでしょうから、そんな方には釈迦に説法。しかも私はただ一度の講演からお話しするだけですから、エラそーなことはなにも言えないのですが、まあ、おききください。 非常にかいつまんで申し上げると、単純計算や、音読が、脳みそのなかのとくに前頭前野のはたらきを活発にさせる、ということです。 前頭前野は、思考、意思決定、コミュニケーション、行動の抑制、記憶のコントロール、意識・注意の集中、といった、まさに人間の精神生活そのものをつかさどるところ、人間を人間たらしめている非常に大事な領域なのだそうです。 研究のきっかけは、そもそも川島先生の院生時代にさかのぼるのだそうです。当時からMRI(磁気共鳴映像法)という最新設備が東北大学にはあったのですが、不幸なことに研究費が全然なかった。 あるときファミコン(?)で遊ぶ人の記録をとったら、脳の働きが非常に活性化されていることがわかった。「このデータを任天堂にもっていけばスポンサーになってもらえる」と川島先生はひらめいたのです。 どうせなら、比較できるデータをそえてもっていこうと、一桁の単純計算をやったときの脳の働きを記録にとったのですが、これが間違い(?)のはじまりだった。おそらく「こんなつまらん作業より、ゲームのほうがよほど脳にはいい!」というところを見せたかったのでしょう。 しかしながら予想を裏切って、なんと単純計算のほうがゲームよりさらにたくさん脳みそをつかっていることがわかってしまったのです。とくに前頭前野のはたらきがすごかった。 そんなことから、研究の筋道がちょっとかわってしまったのですが、数千という観察データをふまえての成果だそうです。
―― 私、一応最年少ですからね。 いやぁ〜〜、これは効き目がありましたねぇ〜〜ッ。これにはぐうの音もでなかった。 心から納得して(笑顔)、輪読にご参加くださいました。
ビデオも見せていただきました。よだれをたらしているご老人がトレーニングをしばらくつづけると、表情までゆたかになってくる、という。 この話をある仲間にしたら、その方のお母様、91歳でボケてはいらっしゃらないけれども、ほんとうに表情がみるみるかわられたそうです。 川島先生は一連のレポートをアメリカの医学雑誌へ投稿されたところ、エントリーからわずか数週間で掲載されるという異例な扱いをうけ、そのことからも衝撃をもって受けとめられていることがわかるそうです。通常であれば、何ヶ月も、あるいは何年も(?)たってから、ジャッジにボロカスに評価されて、ボロボロに落ち込むのが相場らしいのですが…… ということだったんですねぇ〜〜〜。
こんなお話もありました。 落合の斎場での骨揚げのとき、斎場の責任者が、丁重に一つの骨を取り出した。「皆さん、これが本当の喉仏です。壊れ易い骨で、合掌した形からして、喉仏と言います。私は四十年近く、この仕事をさせていただいています。百歳近いお方で、このように、ほぼ完全に近い形で残ったお方は、あまり記憶していません。私は仏教信者です。この方は、よほど後生の良いお方で、来世も、お幸せなところにお生まれになる、と思います。もう一つ、頭の骨が、大きなままで残っておられます。これは、頭をよくお使いになった方―特に学者など頭脳明晰であったお方に、ごく稀に見られます」と説明された。 山本正夫「芹沢光治良先生の思い出」
川島先生のお話、どこか間違えていれば、教えてください。 では。
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※ リンクがはずれている箇所を発見されたら、ご一報くだされば幸いです。(2004.11.04) |