― しあわせへの道しるべ ―

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「日記の魔力」おススメ!

日記。―― あ〜、つけた方がいいだろうなぁ〜。

そういう思いはありながらも、これまでちゃんとした日記をつけることができませんでした。大の日記人からも「とにかく書けばいいのだ」というようなアドバイスは受けました。しかし「とにかく」では漠然としすぎて、私などはただオロオロするばかり……

出版当初、店頭で「日記の魔力」を手にとったことはありますが、いろいろな流れのなかで偶然のようにようやく読むことになりました。

そしてビックリ。なるほど、こう書くのか!ということが ―― なぜ日記を書かなければならないか、そしてそれをどう発展させることができるのか、が、たいへん具体的に、こと細かに書かれてありました。

そして、もし日記に少しでも興味をいだいておられる方があれば、自分をもっと充実させたいと思っておられる方があれば、ぜひ読んで参考になされてはいかがでしょうか、ということを強く思いました。

それでは、この本のエッセンスを私なりにまとめてみました。よろしければどうぞ。

 

日記の魔力
―この習慣が人生を劇的に変える

表 三郎 (著)
サンマーク出版
価格: ¥1,365(税込)
ISBN: 4763196022
2004/08/30

 

 

1. 日記とは

人生を迷路のように考えている人がいるが、それはとても勿体ない。「人生は輝ける大海原を渡る大航海なのだ」と著者はいいます。そして、その「人生」を、レーダーもGPS(全地球測位システム)も搭載しない船にのっているようなものにたとえます。

現在の航海では、水平線しか見えないようなところでも様々な機器にたすけられて自分の位置を正確に知ることができます。

ところが、ほんの100年ほど前は、日々の星の位置、太陽の昇る方角などから「自分がいまどこにいるか」を把握しておかなければなりませんでした。アクシデントがあれば、今後に備えてきっちり記録しておく必要がありました。だから、船乗りはどんなにズボラな人でも航海日誌は正確につけたといいます。

人生が「大航海」であってみれば、日記は命のつぎに大事なくらいの「航海日誌」に匹敵します。

2. 日記に「感想」は必要ない

これまで、私たちは具体的な書き方も教わらないままに「思ったまま、感じたまま書きなさい」などといわれてきましたが、航海日誌に思ったこと、感じたこと、考えたことが書かれていたでしょうか? 航海にとってもっとも大事なことは「日々の出来事」です。

だから、日記に「感想」は必要ない。具体的な事実をていねいに記録する。これが、著者が主張する第一のポイントです。

したがって卓越した文章力も必要ない。ただ、日々の出来事を、あるがままに淡々と記録する。それでよいのです。

海の上では航跡は瞬く間に波にかき消されます。その消えてしまう人生の航跡を残す作業が「日記を書く」ことにあたります。

では、その目的は?

3. セルフイメージを正確に把握する

それは、明確な目的をもって、自分で自分の手綱を握って、希望どおりの人生を生きるため。そのために本当の意味での自己管理をするためなのです。

行動日記をつけると、いままで気がつかなかった「自分」に出会うといいます。なぜなら、ふつうセルフイメージ(自己像)事実上の自分のあいだに大きな「落差」があるからです。

たとえば、子供のころ親に「だらしない」とよくいわれていたとすれば、無意識のうちにそのようなレッテルを自分に貼ってしまいますが、これは「真実の自己」とズレている。少なくとも自分できっちり検証する必要があるでしょう。

また、反対に「あるべき自己」「理想的な自己像」をセルフイメージにしてしまうケースもある。

何の根拠もないのに本当の自分はスゴイ人間だと思い込んでいるから、自分の弱さや欠点を指摘されてもなかなか認めることができない、ということがあります。

はじめに肯定すべき自己像があるから現実の自分を否定したくなる。でも、そういった自己は実際には存在しない虚像であるから、それがどれほど素晴らしくても実のところこれまで何もしてこなかったし、これからも何もしない、またできない。

ひるがえって、事実上の自分はどれほど小さな存在でも、実行力をもっている。だから実際の自己を否定してはいけない、といいます。

日々の行動を記録した日記のなかに発見した自分。これこそが事実上の自分の姿です。それ以下でもなければ、それ以上でもない。

ありのままの自分を受け入れ、セルフイメージを現実に即したものに修正してはじめて、人は「そんな自分が理想的な自分になるには何をすればいいのか」という問いにとり組むことができる、というのです。

だから、著者はつぎのように熱っぽくかたるのです。

 

人生に悩みながらも、前途あるふれる青少年にこそ日記を書いてほしい。

仕事に追われ忙しい日々を送りながらも、自分の人生を見つめ直しはじめたビジネスマンにこそ、日記を書いてほしい。

家事と育児に明け暮れながらも、自分の時間を確保したいと思っている主婦にこそ、日記を書いてほしい。

記憶力の低下を感じながらも、新たな夢を見つけた老人にこそ、日記を書いてほしい。

そして、人生をドラマチックに生きたいと願うすべての人に日記を書いてほしい。

 

 

4. 忙しいからこそ日記を

「そんなこといっても、忙しくなればなるほど、日記なんか書いている暇はない」―― かならず(?)こういう考えが頭をもたげてくるでしょう。

しかし、日々の忙しさのなかに「自分が消えていく」ことのほうを恐れねばなりません(著者は自分の危機感としてのべているだけなので、けっして脅してはいません)。

私たちが社会生活を送る以上、現実的にはさまざまな制約を受けます。その制約に優先順位をつけ、自分で管理していかなければ、ただまわりに管理され流されるだけに終わってしまいます。

だから、ふだんから正確な時間とともに事実を記録する。こうすることにより時間感覚も研ぎ澄まされ、ムダなく最大限に時間を活用することができるといいます。究極のやりくり上手になれるのです。

つまり、これは、日記をつけることによって自分の人生の主導権をにぎることを意味します。これこそが本当の「自由」なのです。

だから「自己管理は楽しい」と著者は断言します。そして、この「楽しい(楽しめる)」というのが著者の主張のポイントの第二でもあります。

5. どんな日記がいい?

日記というと、一般的には過去の思い出を書き残すためのもの、というイメージが強いようですが、著者のすすめる日記は「自分の未来をつくっていくためのものだ」といいます。

終わったものを終わったものとして記録することにはあまり意味がない。また、内省もすすめません。反省をしているようで愚痴の繰り返しに陥るそうです。

大事なのは、昨日という日をふまえ、今日これからの人生をどう生きるかということ。「あれをやっておけばよかった」ではなく「今日はこうしよう」であることをすすめています。いわば将来の宣言をするのです。

そして、これらの記録が長期間にわたって蓄積されると、データとしての価値が生まれる、と説きます。この積み重ねが大きなパワーになるのです。

日記によって、毎日毎日少しずつ自覚がかわっていき、たえずセルフイメージが修正されます。あくまで少しずつなのですが、これが積み重なると自己変容が起きるのです。さなぎもいきなり蝶になるのではありません。殻のなかで少しずつ変態がすすみ、あるとき羽化する。

量から質への変化。日々の変化は一見地味に思えますが、こうした変化がこそが強いのだといいます。

日常生活の価値に気がつけば、日記に書くことは無限にあるといいます。書くことは、自分にとって意味あることなら何でもいいのです。制限をもうけず、いろいろなことを楽しみながら書くのだそうです。

6. 日記を読む

さて、著者が主張する第三のポイントと私が読みとったものは、「日記を読む」ことです。

日記ほど自分にとって面白い読み物はない、といいます。すぐれた小説のように、過去の自分が実にいきいきと立ち上がってくる。未来宣言形の肯定的な書き方をするので、その自分はつねに大活躍しているのです。

さらに興味深いことに、日記を読んでいると、書くにはおよばないと省いた詳細までもが思い出されるそうです。

読むことがなぜ大事か?――

記憶というのはいいかげんなもので、無意識のうちに「すりかえ」が起こるからです。自分に都合のいいように記憶が改竄されるからです。

こうしたいいかげんな記憶に惑わされないためです。「真実の自分」を維持するためです。何度読んでも新たな発見があるからです。

くり返し読むと、読み手(自分)の「読む力」が変化するといいます。何度も読み返していれば、日記から汲みとれる情報の質がかわってくるのです。

つまり、自分に対する理解が深まり、生活の枠組みなどが正確に把握できると、それまで見えなかった潜在力(無限の可能性?)が見えるようになるそうです。

「これだけの行動で、こういう判で押したような生活に自分は満足なのか?」という思いが絶対でてくる。

こうしてでてきた自己批判は、漠然とした不満足に根ざしたものではありません。何が不満なのかがハッキリ見え、これからどうしたいのか、どのような自分でありたいのかがわかった上での実に的を射た批判です。こうした批判であるから、素直に受け入れて改善していくことができるのです。

7. だから日記を書く

日記をつける。この習慣こそが人生を劇的に変えると、私は断言する。―― 著者

なるほど。非常にエキサイティングな内容でした。少しでも心がうごいた方は、ぜひ原本にあたられることをオススメいたします。

(2004.10.31)

 

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