― しあわせへの道しるべ ―

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Serizawa Kojiro

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『神の微笑』文庫化によせて――読者の声

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13
『神の微笑』との対話
12 遠い日の記憶が甦る
11
新たな <芯> が芽生えた
10
自殺願望からすくわれた
9
文庫化に賛辞をおくりたい
8
私は心の中で叫びました!
7
平易で、なくなめらかでわかりやすい文体
6
とらわれないことの むずかしさ
5
これは希望の書だ
4
一気に読ませる面白さ
3
完全にとりこになりました
2
胸の動悸が治まらない
1
感謝できるようになりました
注釈
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『神の微笑』文庫化によせて――読者の声

13) 『神の微笑』との対話

清水 美穂

アメリカ中部時間の平成16年12月7日12時。シカゴ発のユナイテッド航空877便、関西国際空港に向けたボーイング777の機内、テイクオフから30分ほどが経過、水平飛行に入ったところでようやくこのリレー随筆にとりかかる。

東部時間の午前6時過ぎ、ワシントンDCのホテルで出かける準備をしていたときはまだ窓の外は真暗で、例年であればとっくに雪になっている季節なのに、このアメリカの首都でも3日前に出て来た東京と同じく暖かい冬を迎えているせいで、窓をつたって落ちていくのは雨の雫だ。テレビのCBSニュースでは、昨日ワシントン郊外で起きた、30棟以上にのぼる建設中の住宅を襲った火災の模様を現場から生中継し、FBIが調査中としながらも、"エコテロリズム(環境テロ)か?" と報道している。引き続き番組は、63回目のリメンバリング パールハーバーデーを迎えたハワイからの追悼行事の模様を伝える。そう、今日、日本時間12月8日は、昭和16年に起きてしまった太平洋戦争開戦(真珠湾攻撃)の日だ。日付変更線を超えたこの国では、その日も日本とは一日のずれがあり、第二次大戦中の事実も全く異なるように報道される。子供の頃テレビで観た「トラトラトラ」の映画のワンシーン、最近観たハリウッド映画で「パールハーバー」が全く違う描かれ方をしているのに愕然としたこと、約3年半生活したテキサス州ヒューストン郊外の空軍基地で毎年秋行われた航空ショーで零戦がフェイクの爆弾をものすごい轟音とともに落としてゆく様を見せつけられ、当時の敵国人として背筋の凍る想いをした記憶などが頭をよぎる。今回時間が無くてこの目で確かめることができなかったが、スミソニアン航空宇宙博物館別館に、広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラゲイ」が、原爆投下後の被害について全く説明されることなく昨年から展示されているそうだ。80年代、東西冷戦下の核の脅威の中で、核廃絶を訴える市民運動が全国そして全世界レベルで展開したのに…… あれは一体、何だったのだろう。

――昭和六十年の夏、例年のように中軽井沢の丘の家で過すことにして、出発にあたって、大河小説『人間の運命』の十二巻を読み終わって、のこりの二巻を持って行ったものだ。

この大作は、私と同年で境遇や人生体験のよく似た森次郎君を重要な主人公に選んでいるためか、そこまで再読しただけで、自分の一生を再経験するような苦悩と感動をおぼえたが、同時に、現代の政治に関する危機感に襲われて、慄然としたものだ。

日本人はたしかに敗戦後の不幸を克服して、経済的に豊かになったが、金と私欲に走って、人心が荒廃したために、民主主義に生きると自ら信じながら、指導力のありそうな政治家に、うっかり動かされる傾向がある。(中略)そして、自ら民主主義者だ、平和主義者だ、戦争反対だと、口にするものの、気がついた時には、森次郎の同時代の人々と同様に、驚くべきことに、国家主義的戦争に進んで与していたというようなことに、なりはしないか。怖ろしいことだ。

眼下に白い雲を見下ろす高度1万メートル上空、左手のテーブルには、今年、何度となく持ち歩いたためにカバーはすっかりはげ落ち、本文中には赤や黄、青色の線で埋めつくされ、表紙の裏やそこいら中に書き込みがされた『神の微笑』が置いてある。東中野の読書会では二度に分けてテキストになり、2月には大阪の読書会へもこの本を持って出かけた。11月初旬に、パリ経由で現地(アムステルダム)一泊という強行出張に飛んだ際も勿論。先の引用はその11〜12頁からのものであるが、単行本が世に出た昭和61年当時、東西冷戦の真っただ中、あらためて森次郎の生きた時代を振り返ると、同じような危機的意識状況に落ちていっている当時の日本人に警告を発している表現と受け取れるが、それはそのまま、今日にもあてはまるのではないだろうか。

『神の微笑』では、作家である書き手が、我が文学精神と、自分にとっての神について、90歳にしてはじめて問いかけるような対話形式で書かれているが、読者としての私にとっては、どの文章ひとつとっても、作家から様々なことを心に問われているようで、読めば読むほど「難しい」と感じられてならない。約3年前にこの作品で初めて芹沢文学に出会い、20年前の楽しい夏の記憶がよみがえるきっかけとなったということで、嬉々とした明るい感動をおぼえたということを、別なところに書いたばかりであるが(※1)。

死者は生きのこった人の記憶のなかにしか生存できないという。人の記憶は時とともにうすれて、やがて死者も生きのこった人の記憶に存在することが難しくなるであろうし、生きのこった人自身、この世を去ってしまう時が来るが、その時死者がこの世にかけた願望や精神はどうなるのであろうか。

和田稔君。

君の戦死したのは(昭和)廿年七月廿五日で、君の死を知ったのはその年の暮のこと、ちょうど二年前である。

この夏のある朝、仕事に出かける際に電車の中で読もうと思って手にしたのが、この文章で始まる芹沢先生の『死者との対話』(※2)。敗戦を目前に回転特別攻撃隊員として、訓練中に殉職された、学徒動員兵(東京帝国大学法学部政治学科)和田稔さんの59回目の命日にあたる7月25日だった。

……こんな経験をなぜ君にくどくど語ったのか。僕達のなめた不幸が戦争から生ずる不幸であるよりも、僕達日本人の人間としての低さから生じた不幸であったことを、君にいいたいばかりだ。

みんなで避けようとすれば避けられる不幸だった。それに苦しめられながら、僕はあの唖の娘のことを思いつづけた。西田博士ばかりではなく、日本には多くの善意を持つ偉い学者や芸術家や思想家がおろうが、この人々がみな仲間同志にしか通用しない言葉を使って、仲間のために仕事をして来たので、日本人は唖の娘としておきざりされて、民度をたかめることもできなかったが、これはそうした知識人の裏切りであったと、最後に君にあった日に憤ったのだった。

この『死者との対話』も、夏以来、何度も読み返した。和田稔さんの昭和20年6月1日の手記が掲載されている『第二集 きけわたつみのこえ』も、今、右手にある。この本、そして9月に偶然に観る機会のあった劇団四季のミュージカル「南十字星」でも、極限状況下に追い込まれた若者たちによって語られたのは、決して絶望ではなく、自らが見届けることのできない明日への希望を、我々後生の人間に託した言葉だった。

「先生、ご健勝でしょうか。長生きして、いい仕事をして下さい。それをのみお祈りしています。万感の想をこめて、稔」

そう作家に書き遺した和田君に対して、芹沢先生が50年後の作家生活を超えて書き得た、答えとなる哲学書が『神の微笑』であると、私には思えてならない。


4年ぶり、そして9.11(2001年)以来のアメリカ滞在であったが、成田を発つ直前にこの国の変貌ぶりに目が覚めるような事を耳にするとともに、シカゴ空港での入国審査の際に、機械で読みとれる番号が、ヒューストン領事館発行の私の日本国パスポートに無いというだけの理由で入国を拒否されそうになり、別室で1時間半も足止めを食うという苦い経験を通じて、いわゆる "テロとの戦い" が今尚続く、まさにこの国は戦争中なんだという緊張感をもってすごした3日間だった。今日、14日、ニュースは、我が国政府が、武力攻撃を受けた際に国と地方自治体が取るべき住民の避難・救援などの対処々置を定めた国民保護基本方針の要旨を公表したと報じた。イラクへの自衛隊派遣も延長が決まっている。この調子だと、これからは天災や火災に備えた防災訓練ではなく、まさに武力攻撃や化学テロに備えた訓練が大学でも実施されるようになるのではという不安を、研究室の学生に話した。一体どうしてこういう状況になってしまったのか。一方で、「日本の高校生、読解力低下」という報道も最近あった。大学生、大学院生と話しをしようとしても明らかにコミュニケーションが出来ない若者をそこら中に見るたびに、危機感をおぼえる。

明治・大正・昭和の時代を日本だけでなく、世界で何が起きているのか、その文化的、歴史的背景を常に冷静に見すえながら生きぬいた作家である芹沢光治良先生の作品を通じて、現代においても学ぶ事がいかに多いことか。あらためて芹沢作品の奥深さに感動を新たにするとともに、来年も『神の微笑』との対話は続きそうだ。

芹沢光治良文学愛好会
リレー随筆(249) 平成16年12月
より転載

 

(※1) 「軽井沢高原文庫通信」(2004年10月20日)「芹沢先生の古ピアノ、軽井沢と私」のこと。芹沢光治良文学愛好会のウェブページ「トピックス No.12 2004年11月7日更新からご覧いただけます。

(※2) 日本ペンクラブ 電子文藝館から全文をご覧いただけます。また『芹沢光治良文学館(10)』にも収録されています。

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※ リンクがはずれている箇所を発見されたら、ご一報くだされば幸いです。(2004.11.04)